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タイの世界遺産・スコータイ遺跡公園 その1   タイ人による最初の王朝・スコータイの歴史


掲載日:2017/04/10 テーマ:遺跡 行き先: タイ / スコータイ

タグ: ためになる 遺跡 一度は行きたい 世界遺産 素晴らしい 歴史


見応えがある世界遺産の遺跡

タイ屈指の遺跡がこのスコータイ遺跡。タイ人による最初の王朝の都だ タイ屈指の遺跡がこのスコータイ遺跡。タイ人による最初の王朝の都だ

タイには3つの世界文化遺産があります。ひとつは「バーンチエン遺跡」で、これは考古学的な先史時代の発掘跡。私は行ったことがありますが、観光にはちょっと地味すぎですかね。残りの2つは、スコータイとアユタヤというタイの歴史に名前を連ねる王朝の都の跡で、これらは観光地としても共に十分に見応えがあります。この2つの遺跡はどちらも甲乙つけがたいのですが、どちらかと言えば、スコータイ遺跡のほうが私のような遺跡マニア(笑)には受けがいいでしょう。アユタヤの方は町なかに遺跡があるので、趣という点では劣るんですよね。今回はおすすめの方のスコータイ遺跡をたっぷり紹介しましょう。

タイ人が建国した最初の王朝がスコータイに

現在、タイにタイ人がいるのは当たり前のように思っていますが、ここにタイ人が住みだしたのは11〜13世紀のこと。それまではタイ人は中国南部、現在の雲南省あたりで暮らしていました。当時のタイでは現在のカンボジアに住むクメール人や、今では山岳少数民族になってしまったモン族が王国を建てていたのです。それが日本でいえば、平安時代から鎌倉時代にかけての11〜12世紀に徐々に南下を始めます。13世紀になるとモンゴル人が中国に作った元朝に押し出される形で、さらに南下が加速しました。タイ人たちは北タイに小さな領土を作り、次第にその範囲を広げ、アンコール朝(言うまでもなくアンコールワットを造ったカンボジアの王朝)の勢力を追い出して、1238年にスコータイを都として、タイ人による最初の王朝であるスコータイを建国します。

スコータイ王国の全盛期を作ったラームカムヘーン大王

スコータイ朝は、13世紀末の第三代君主のラームカムヘーン大王の時に早くも最盛期を迎えます。大王は周辺諸国と友好関係を結び、中国と貿易も行っていました。また、現在使われているタイ文字も大王が定めたといいます。ラームカムヘーン大王は、「父親が子供達に接するように国を治めた」と伝えられていますが、当時のタイはそれも可能なほど人口は多くはなく、周辺国との関係も個人同士のつながりが強かったようです。スコータイ王国の王と地方の領主や友好国との関係も、条約やルールで組織同士が結ばれていたわけではなく、単なる個人的な関係でした。そのため、国王の力が弱くなるとたちまち国としての結束力が弱くなっていったのです。

スコータイ王国の滅亡

ラームカムヘーン大王の死後の14世紀になると、スコータイ王国は次第に衰えていきます。1378年には、南のアユタヤの力の方が強くなり、スコータイはその朝貢国になってしまいます。1463年には都がピッサヌロークに移り、都としてのスコータイは衰退著しくなりました。1583年にアユタヤに併合されて、スコータイ朝はついに滅亡します。(その2に続く)

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2017/04/10)

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※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
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