ウズベキスタンの宿泊でまず確認するのは?

ウズベキスタン旅行を考えている人にとって、もっとも大きな問題は、ソ連時代から続く、レギストラーツィア(滞在登録)のことです。宿泊するホテルなどで発行してしてくれる、小さな紙切れなのですが、これを持っていないと、警察に罰金を請求されたりするのです。しかも警察は、治安の問題もあって、よく声を掛けてきます。友人宅に簡単に泊まれないのは、このレギストラーツィアが発行できないからです。僕と妻がウズベキスタンのタシケント国際空港に到着した時、民泊のおばちゃんに声を掛けられました。朝食込みで2人で12ドルは格安です。しかもレギストラーツィアも大丈夫と太鼓判を押すのです。彼女の住む集合住宅は空港のすぐそば。早朝の若干涼しい空気の中を彼女について行きます。3LDKの1室を与えられ、おばちゃんは、僕たちのパスポートを持って、どこかに出かけていきました。

民泊した集合住宅 民泊した集合住宅

朝食にビックリ!

小一時間ほどして、おばちゃんは戻ってきました。書き込みのあるレギストラーツィアの紙片とパスポートを渡されました。形骸化した制度ですが、宿泊前には要確認です。おばちゃんは、朝食も用意してくれました。丸い大きなナンとチャイ、それに豆のキムチ、春雨と人参のキムチにゆで卵です。なぜ中央アジアのウズベキスタンに、キムチがあるのでしょうか? しかも本場の味なのです。そう言えば、モスクワやサンクトペテルブルグの昔からあるホテルには、コリアン料理の店が入っていることがありました。地理的に近いせいか、新興の日本料理よりはるかに定着しているようなのです。朝食後はバスに乗り、炎天下をタシケント最大の市場、チャルス・バザールに行ってみました。

チャルス・バザール チャルス・バザール

朝鮮系の顔の人たちがいる

チャルス・バザールを見て回っていると、朝鮮系の顔をした人たちがキムチを売っています。第二次大戦中の1937年にウラジオストク近郊に暮らしていた朝鮮系の高麗人たちが、スターリンによって中央アジアに強制移住させられたのです。その後も彼らは移動の自由を制限され、現在でも20万人近い高麗人がウズベキスタンに住んでいるのでした。旅をしていると、こんな風に歴史の現実に直面することがあるのですね。それにしても首都のタシケントでさえ、英語がほとんど通じません。同行する妻がロシア語が話せたので、助かりましたが。そんな妻が、ランチに入った店で、冷たいスープがおいしいよと勧められました。頼んでみると、出てきたのはなんと冷麺! スターリンの強制移住が、キムチや冷麺を中央アジアに根付かせたのです。そう考えると、朝鮮料理の味わいも、一層感慨深いものになりますね。

高麗人のキムチ屋のおばちゃん 高麗人のキムチ屋のおばちゃん