スマトラ島のトバ湖で出会った日本人

マレーシアのペナン島からインドネシアのスマトラ島のメダンに船で渡り、僕のインドネシア横断旅行はスタートしました。メダンにほど近いトバ湖は、標高が905メートル、ほぼ赤道直下でも朝夕は涼しい、風光明媚な避暑地です。この湖は世界最大のカルデラ湖で、中央にサモシール島が浮かんでいます。中心地はブラスタギという町ですが、外国人の多くはサモシール島のトゥクトゥク(TukTuk)に泊まっていました。この地域に多いバタック族の人たちは、その昔、船を裏返したような形の家々に暮らしていました。母系社会です。メダンから旅行に来た大学生のグループと遊んだりしているうちに、1週間が過ぎました。その時に知り合ったのが、年下の日本人Hです。彼はサーファーで、バリ島に長く、しかしバリにも飽きて、ここまで来たのだとか。彼にはインドネシアはあわなかったようでぶつぶつ言いながら、バリに帰っていきました。

バリ島クタビーチの夕景 バリ島クタビーチの夕景

慣れれば結構楽しい値段交渉

Hがインドネシアの印象があまりよくかったのには、理由がありました。すべてにおいて、値段交渉が必要なくらい、高い値段を吹っ掛けられたというのです。ジュースを買うにも、値段が違う。大都市圏でスーパーが誕生してからは落ち着き、今では定価制度が浸透しています。それでもお土産類を買うときなどは値段交渉が必要なのは、言うまでもありません。当時は石鹸1個買うにも注意が必要で、食事でも値段を確かめてから頼んだものです。しかし丁々発止の値段交渉の中で、正直げんなりしながらも、粘り強くやることで、人間力が鍛えられたような気がします。いちいち相手の主張に腹を立てるのではなく、君がそう言うなら、こっちはこうだと冷静に対応すればいいのです。そんな感じで応対すると、相手もにやりと笑って、かえって互いの腹の探り合いが面白くなるのです。世界では、タフでなければ生きていけない。しかも笑って生きていくのです。

バリ島での生活

インドネシア横断旅行最後の地がバリ島でした。Hの定宿に行ってみると彼はおり、それからは2人で遊ぶ毎日です。昼前くらいにクタビーチに集合します。すると毎日、同じおばちゃんたちが、「マッサージをしないかい」と近寄ってきて、勝手に腕などをモミモミしだします。「お金はないよ」。「いいじゃないか。払いなさいよ」。「いいやダメ、マッサージはしなくていいから」。「そんなこと言って、暇なんだから」。こんな調子で話になります。2か月近くもインドネシアにいたので、僕もHも片言のインドネシア語なら話せるようになっていました。こうなると友達みたいなものです。値段交渉も、実は重要なコミュニケーション手段の一つだったのですね。今から思えば、僕たちは、おかげで少しは人間的に成長できたかなと思います。以来、僕は多少は胆力がついた気がしますし、その後、Hはインドネシアの印象が変わっていったようでした。