世界史の教科書にも登場するインドネシアの都市、バンドン

ジャワ島第3の都市バンドン。西ジャワ州の州都であり、スンダ語を話す人々が住むスンダ地方の中心として栄えてきた町です。ジャカルタからは約200kmほどの距離で、特急で約3時間、バスで3〜4時間とアクセスも良く、週末にはよく観光客や買い物客がやってきます。このバンドンはまた、標高700mという高原にあるので、ジャカルタよりも過ごしやすく、暑い時期にはジャカルタから避暑にやってくる人たちもいます。さて、このバンドン、「名前を聞いたことがあるけれど何だったかな?」と思う人もいるのでは。そう、ここは世界史の教科書にも登場する「第1回アジア・アフリカ会議」が開催された町なのです。

旗が目印。バンドンの街中にある「アジア・アフリカ会議博物館」 旗が目印。バンドンの街中にある「アジア・アフリカ会議博物館」

第二次世界大戦後にようやく独立したインドネシア

第1回アジア・アフリカ会議(AA会議、バンドン会議とも)が開かれたのは、1955年のこと。第二次世界大戦が終了すると、それまで欧米の植民地だった国々がいっせいに独立し始めます。英国植民地はおもに平和裡に独立を果たしましたが(とはいえ困難は伴いましたが)、フランスやオランダは独立を認めず、植民地の独立派との戦争に入って行きました。インドネシアはオランダの植民地でしたが、日本が撤退した後に独立戦争が始まり、1949年にようやく独立を果たしました。独立のリーダーで初代大統領になったのはスカルノです。しかし、新興国には問題が山積みでした。というのもすでに冷戦が始まっており、世界は東西のどちらかの陣営に属するかに迫られていたからです。

第三世界の代表が集まった国際会議

アメリカとソ連という超大国の対立に巻き込まれないようにするには、戦後に独立した新興国同士で結束するしかありません。そこで中国の周恩来、インドのネルー、エジプトのナセルなど、第三世界の元首、首相級が参加する国際会議が提唱され、このバンドンで行われたのです。出席国は29か国。ここで基本的人権の尊重や大小すべての国の平等、国連憲章の尊重、内政不干渉などの「平和十原則」が発表されました。反帝国主義、半植民地主義を訴え、アメリカにもソ連の陣営にもつかないことを確認したのです。

入場は無料! 時間があればどうぞ

バンドン市内中心部には、今もこの第1回アジア・アフリカ会議が開かれた会議場の建物が残されています。場所は中央広場のアルンアルンから徒歩3分ほどのアジア・アフリカ通りに面した建物。現在は博物館として公開されており、当時の写真や資料が展示されています。また、当時の会議の様子も人形などで再現されています。入場無料なので、バンドンに行く機会があったら、ぜひこの歴史的な場所に寄ってみてくださいね。
●アジア・アフリカ会議博物館 Museum Konperensi Asia Afrika
[開]火〜木曜8:00〜12:00、13:00〜16:00、金曜日14:00〜16:00、土・日曜日9:00〜12:00、13:00〜16:00 昼休みと祝日は休みなので注意