日本でも歌われたクロンチョン

実は日本もこのクロンチョンとは深い縁があります。戦後間もない頃、このクロンチョンの曲「ブンガワン・ソロ」が日本語の歌詞で歌われてレコードになったのです。作曲者はジャワ島中部の古都ソロ(スラカルタ)に住んでいたグサン・マルトハルトノさん。ソロを流れるソロ川について歌ったものでした。

ポルトガルの置き土産 インドネシアの大衆音楽クロンチョン その2 ポルトガルの置き土産 インドネシアの大衆音楽クロンチョン その2

復員兵が口ずさんだ「ブンガワン・ソロ」

グサンさんは若い頃からクロンチョン楽団で活動し、多くのクロンチョンを作曲。日本のインドネシア占領中には、日本軍の慰問団の一員としてジャワやスマトラ島を回り、たくさんのクロンチョンを歌いました。「ブンガワン・ソロ」や「サプタンガン」など彼の作った曲は、日本兵に愛され、彼らの日本への引き揚げ後も日本で多くの人に口ずさまれていたのです。また日本から南方慰問団に参加し、インドネシアの曲も歌っていた歌手の藤山一郎も帰国後、「ブンガワン・ソロ」を自分のレパートリーに加えました。そんな事情もあり1948年には日本語に訳された「ブンガワン・ソロ」がレコードとなったのです(歌は松田トシ)。この曲は、その後も美空ひばり、小林旭、都はるみなど日本を代表する歌手に歌い継がれるほどの名曲となりました。

偶然にグサンさん宅を訪問

さて、実は筆者もグサンさんと小さなご縁を頂いたことがあります。かつてソロを旅行中に、お店でクロンチョンのCDを物色している時のことです。何気なく店員さんにグサンさんの話をすると「ああ、すぐ近所に住んでいるよ」とのこと。半信半疑で家の場所を訊いて、散歩がてら道行く人に尋ねながら歩いていくと、あれよあれよという間に本当にグサンさんの家にたどり着いてしまいました。突然訪問するのもぶしつけかなと憚りながらも、一目お会いしたくて玄関のベルを鳴らしました。

戦争に来た人たちを占領されている国の歌が癒す

暖かな瞳で突然の訪問者を迎えてくれたグサンさんの家の壁には、たくさんの賞状が飾られていて、その中には日本語で感謝状と書かれたものもありました。それは戦時中にインドネシアに駐留していた日本人からのもの。その感謝状にはこう書かれていました。「私たちが貴地で過ごした数年間に、望郷の念にかられ時にははるか故郷に残した家族のことを考えて淋しい思いをしたこともあります。そんな時いつも私たちの心を慰めてくれたのは「ブンガワンソロ」や「サプタンガン」の深奥な優しい調べでした。それらの歌を作詞作曲した貴殿に対して、今もなお親近の情を持って尊敬して居ります」。戦争に来た人たちを占領されている国の歌が癒す。一人の男が作った歌が戦争の当事者であった二つの国の人々に愛されている。「ブンガワン・ソロ」は今も流れ続けているのです。