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インドネシア独立戦争の最初の舞台となったスラバヤと日本の関係をアニメで知る 前編


掲載日:2017/06/30 テーマ:映画のあの場所 行き先: インドネシア / スラバヤ(インドネシア)

タグ: おもしろい ためになる ロマン 一度は行きたい 歴史


日本占領時代のスラバヤ

現在のスラバヤは、インドネシア第2の大都市 現在のスラバヤは、インドネシア第2の大都市

先日、飛行機でインドネシアに向かう途中、機内映画のリストにあったインドネシア製作のアニメーションが気になり、つい見てしまいました。タイトルは「Battle of Surabaya(バトル・オブ・スラバヤ)」(2015)。インドネシア独立戦争時に起きた、スラバヤでの戦闘を背景にした少年と少女の物語です。スラバヤはインドネシア第2の都市で、昔から現在に至るまで重要な貿易港として発展してきました。太平洋戦争が始まると、スラバヤも他のオランダ領インドシナと同様に、1942年、日本軍に占領されます。日本占領中は日本軍の軍港のひとつとして使用されましたが、それは連合軍の爆撃を受けることでもありました。1945年8月15日、日本は降伏しますが、連合軍がオランダ領インドシナに上陸するまではまだ日数がかかりました。ヨーロッパの荒廃もひどかったからです。

独立達成前に日本が降伏してしまう

敗戦が近いことを知った日本は、降伏前にインドネシアを独立させようとします。そしてオランダ政府によって投獄されていた民族主義者のスカルノやハッタを中心に、独立準備委員会を作らせました。しかしそれが整わないうちに日本本国が降伏してしまいます。これは独立派にとっては大きな問題でした。降伏したということは、日本軍は連合国の捕虜であり、その指導下に入ってしまうこと。インドネシアにいた日本軍は、連合国の命令で彼らが上陸するまで治安を維持し、独立派への武器の引き渡しも禁じられました。つまり、昨日までは現地の人たちを独立義勇軍として育てていた日本軍は、急にそれを取り締まらなければならなくなったのです。

降伏した日本兵の悩み

命令ながら、心情的には当然ながら独立軍の取り締まりは、日本の兵士たちにとっても理不尽な命令だったでしょう。武器がオランダに渡る前にその引き渡しを求め、独立派と日本軍の間で、各地で小競り合いが起きます。もっとも、かつての部下たちだった独立派に武器を横流しした部隊もあり、日本軍の装備の半分以上が独立派に渡ったといいます。しかし命令に忠実な部隊は独立軍への武器の引き渡しを拒否し、中部ジャワのスマランでは日本側の死者約200人(ほとんどが民間人)、インドネシア側の死者1000人から2000人という大規模な事件になってしまいました。(後編に続く)

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2017/06/30)

※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
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