足を延ばしてビーチと船遊び

「ケララ州の州都ティルヴァナンタプラム」その1からの続きです。ティルヴァナンタプラム近郊の見どころには、コモリン岬以外にも空港(空港名は「トリバンドラム」のままですが)から車で20分ほどに、南インドを代表するビーチのコバラムがあります。アラビア海に面したコバラムにはアーユルヴェーダリゾートもあり、その施術を受けるために何日か滞在するという人もいます。他にもティルヴァナンタプラムから日帰りできる観光地には、「バックウオーター」と呼ばれる水郷地帯があります。ヤシの木が茂る海のそばの水路を、「ハウスボート」と呼ばれる宿泊設備がついた木造船でのんびりと行き来できます。

鉄道駅前にはバススタンドがあり、市内バスから長距離バスまで発着している 鉄道駅前にはバススタンドがあり、市内バスから長距離バスまで発着している

貿易で繁栄してきた町

さて、このティルヴァナンタプラムの歴史を簡単に知っておきましょう。現在は人口約75万人という州内ではコーチンと並ぶ都市ですが、町の歴史も古く、紀元前から海上交易で栄えていたといいます。インド亜大陸の先端付近にあることから、西のアラビア海、東のベンガル湾を行き来する貿易船が停泊する町だったのです。その後、南インドに現れた様々な王国の勢力下に入っていましたが、都市が成長するのは18世紀にトラバンコール王国の都になってからでしょう。

トラバンコール藩王国の都として栄える

1795年にトラバンコール王国の王タルマ・ラージャは、コモリン岬近くのパトマナーバプラムからティルヴァナンタプラムに都を移します。その前にトラバンコール王国は、当時全盛期を迎えたマイソール王国の侵攻をたびたび受けていました。それに対抗するためにイギリスと組むのですが、その結果、今度はイギリスの保護下に入ることになってしまいます。首都移転と同じ年、トラバンコール王国はイギリスの藩王国になりました。しかし、トラバンコール藩王国時代は進歩的な藩王がいたことや、領土が広くないことも幸いし、インドでは高い識字率を持ち、近代化にも成功しました。1834年には、インドで初の英語学校が置かれたそうです。

インド人に人気の都市。その理由は?

第二次世界大戦後のインド独立後は、北のコーチン藩王国とトラバンコール藩王国が合併し、ケララ州が成立。ティルヴァナンタプラムはその州都となります。民主主義国家となったインドですが、ケララ州は最初から共産党が強く、1957年に「世界初の普通選挙を通じた共産党政権」が発足したことでも知られています。以降は政権交代もありましたが、今でもインドでは数少ない共産党が強い州です。藩王国時代から教育が盛んだったこともあり、現在では識字率がほぼ100%、インドでは一般的な教育水準が高い州として知られています。近年はIT産業が発達し、ソフトウェアの輸出が盛んですね。また、人口増加率もうまく抑えられ、治安も良好。平均寿命がインドでは最も高いとあり、インド人の間では人気の都市なんですよ。(その3に続く)