リン鉱石がナウルにもたらしたもの

その1からの続きです。独立するまでにナウルで採掘されたリン鉱石は、3500万トンといいます。しかし島の人口が少なかったこともあり、採掘のほとんどは他国からの出稼ぎ労働者に任されていました。そのためナウル人の多くは、委任統治領の時代も、漁業で暮らす昔ながらの生活を送っていたといいます。ところが独立と共に土地はナウル人のものになり、彼らにどっとお金が入ってきます。独立から1980年代末までの20年間に、国家が得た収入は5000億円といいます。当時のナウル国民の人口は5000人ぐらいでしたから、ひとり1億円! 1970年代にはそのGDPはひとり2万ドルになり(当時のレートで約720万円)、日本やアメリカをしのぐほどになります。

資源枯渇で経済破綻! 南洋のミニ国家、ナウルがとった数々の奇策とは? その2 資源枯渇で経済破綻! 南洋のミニ国家、ナウルがとった数々の奇策とは? その2

働かなくても食べて行ける“バブル”の時代がやって来た

採掘はもとから他国からの出稼ぎ労働者がしていたので、ナウルの人たちは独立後は汗水垂らして働くこともなく、「地主」として収入を得ることができました。国家もそんなに儲かる訳ですから、税を取る必要はありません。電気などの公共サービス、学校、医療などはすべて無料。年金も配布。結婚した夫婦には無料で家が与えられ、航空会社を作って、1980年代には「鹿児島 - ナウル」線も飛んでいたほどでした。一周わずか20キロの国土に1本しかない道路を外国の高級車が走り回り、海外からの旅客機が発着する。それまでイモや魚を食べていた国民ですが、輸入食材による飽食の時代を迎え、食事は3食とも中国人が経営する中華レストランで、という家族も珍しくないようになりました。海外旅行に海外投資、湯水のようにお金を使っても、お金は減ることがありませんでした。

将来を考えた海外投資が失敗

しかし資源は、いつかは枯渇します。そのペースで掘り進んで行けば、2000年ごろにはなくなってしまうことがわからなかったのでしょうか。たぶん、わかってはいたのでしょう。1980年代から将来を考えてか、ナウルはいろいろな手を打っていたようです。まずは海外の不動産を買ったり海外投資をしたりを始めました。バブル経済を迎えた当時の日本と似たようなところがありますね。その頃の日本も、アメリカやオーストラリアの不動産に手を出していましたから。しかし不動産バブルがはじけたのはみなさんご存知の通りでしょう。慣れない投資は失敗し、ナウルは何億ドルもの損失をかかえてしまいます。(その3につづく)