「ウィーン包囲」で欧州に伝わる?

さてさて、ヨーロッパにコーヒーが伝わったのにも、有名な伝承があります。17世紀、ハンガリーを併合してヨーロッパに進出したオスマン帝国ですが、当時の強国オーストリアの都ウィーンを何度も包囲するも、その占領は果せず退却することになります。退却したオスマン軍の陣地へやって来たオーストリア兵は、飲みかけの見慣れない黒い液体を目にします。ある兵士が好奇心からひとくち飲み、「うまい!」と言ったとか言わないとか。こうして、ヨーロッパに初めてコーヒーが伝わったというのです。

コーヒーの歴史・その2 ヨーロッパとインド。西へ東へとコーヒーが広がる コーヒーの歴史・その2 ヨーロッパとインド。西へ東へとコーヒーが広がる

実際はもっと早く欧州に伝わっていた?

しかしこれはあくまで伝承のようで、当時地中海の貿易を支配していたヴェネツィアにはすでにカフェがあり、コーヒーが飲まれていました。1605年にはローマ教皇が「コーヒーに洗礼した(コーヒーをキリスト教徒が飲んでも良いと認めた)」とも伝えられています。17世紀半ばには、西ヨーロッパの国の大半にコーヒーが伝わり、コーヒーハウスもできていたようです。逆にオーストリアのほうが伝わるのが遅かったのかもしれません。大航海時代が到来する以前は、東方のスパイスやコーヒー、茶は、ヨーロッパに伝わる前に中継地のイスラム圏を通らないと運ぶことができなかったので、アラブ商人は大きな利益を得ていました。同様に、アラブ商人と取引をしてヨーロッパに売っていたヴェネツィアも大儲け。コーヒーはだからとても高価なもので、嗜好品というよりも、“薬”に近い感じだったようです。

コーヒーは東のインドへも伝わる

さてさて、コーヒーは西へだけでなく、東へも伝わりました。16世紀、アラビアではコーヒーの苗木や生豆の持ち出しは禁止でしたが、メッカに巡礼に行った南インドに住むイスラム神秘主義者のバーバ・ブーダンが7粒の生豆を持ち帰ります。彼がこの豆をチクマガルールの丘(現在のカルナータカ州西部の山地)に埋めた所、1粒だけ立派に成長します。それが南インドのコーヒー栽培の礎となったのです。標高1000m前後のこの地方は、コーヒー栽培に適しており、その後、南インドにコーヒー農園が増えて行きました。現在のチクマガルールは、コーヒー農園の中の高級ホームステイやリゾートが人気の、インドでは有名な観光地でもあります。「インドへのコーヒー伝来」を伝えるバーバ・ブーダン・ギリ(コーヒーを埋めた丘)や、バーバ・ブーダン廟などが、今も残っています。