クーデンホフ光子を知っていますか?

最近、難民の問題等でEUの危機などと言われていますが、そもそもEUができるとき、日本人も関係していたことをご存じでしたか? 汎ヨーロッパという考え方がEUの元になっていますが、これはリヒャルト・クーデンホフ・カレルギーが言い出したことで、彼はオーストリア人と日本人とのダブルです。彼の母親が旧姓、青山光子という日本人で、オーストリア貴族に嫁いでいます。クーデンホフ光子が家族と一緒に暮らした城は、今も残っています。

結婚してヨーロッパへ。チェコにあるクーデンホフ光子の城 結婚してヨーロッパへ。チェコにあるクーデンホフ光子の城

ズデーデン地方の小さな町にあるボロボロの城

その城は、クーデンホフ光子が暮らした時代はオーストリア国内だったのですが、今はチェコの小さな町にあります。町の名前はポベショビツェといいます。ドイツ国境に近いところで、ズデーデン地方と呼ばれる地域にあり、第二次世界大戦のときには、悲惨な運命にあいました。この城も、戦争が終わった直後、なにか金目のものはないか、壁の中に隠されていないかとズタズタに破壊されました。近年、ドイツ在住の日本人作家が音頭をとり、一部修復がなされましたが、破壊具合がすさまじく、修復がなされたのは数部屋にとどまります。ですが、たいへんな進歩だと思います。修復された部屋は見学可能です。

クーデンホフ光子の展示は別の城で見学できます

クーデンホフ光子の遺品など、彼女にまつわる展示は別の城で見学できます。ホラショフスキー・ティンというポベショビツェにほど近いところにあります。この城は、当時のままの姿が残っていますので、在りし日のポベショビツェの姿を思い浮かべることができます。この城の一角に、クーデンホフ光子の肖像画や遺品が展示されています。

クーデンホフ光子のお墓はウィーンにあります

クーデンホフ光子は、結婚してオーストリアへ行くとき、二度と故郷へは帰らぬ決意だったといいます。明治の女性はなんて強いのだろうと、私などは思ってしまいますが、実際彼女は一度も日本に帰ることなく、お墓もウィーンにありますので、死んでも帰らなかったということでしょうか。同じ日本女性として、すごい人だなと思います。