観光に立地の良いプライベートルームを予約

「サラエボ観光ガイド」その1からの続きです。サラエボの宿はあらかじめホテル予約サイトで申し込んでありました。場所は観光名所が並ぶ、旧市街バシチャルファのほぼど真ん中。タクシーはその中まで入れないので、旧市街の入口で降り、途中から2、3分ほど歩きます。受付がカフェというプライベートルームでしたが、部屋は広くて明るく、玄関も独立していると文句はありません。料金は40ユーロ(約5600円)。周辺のクロアチアやスロベニアに比べると、やはりボスニアは安いです。町の標高は500メートルほどしかないのですが、地中海沿岸の町に比べるとずいぶん涼しく感じます。

サラエボ市内には、こうした気軽なプライベートルームの「SOBEソベ」が数多くある。 サラエボ市内には、こうした気軽なプライベートルームの「SOBEソベ」が数多くある。

オスマン朝時代に造られた旧市街

地図を見ると、旧市街は横700メートル、縦400メートルぐらいの範囲に収まる程度の大きさです。背の低い建物と石畳、そしてモスクがところどころにあるという、ヨーロッパというよりは、まるでトルコの古い田舎町のようです。というのも、この旧市街が造られたのはオスマン帝国時代のこと。サラエボはこの時代に、この地方の行政の中心として発展。モスクやマドラサ(イスラム神学校)、ハマム(公衆浴場)、バザールなど、オスマン朝の町にある基本的な施設が造られました。また、この時代に多くの住民がキリスト教からイスラム教に改宗しました。これが現在のボシュニャク人(ムスリム人)のもとです。

20世紀末には内戦で町が破壊される

1908年にボスニア・ヘルツェゴビナは、オーストリア=ハンガリー帝国に併合されます。サラエボを走るトラム(路面電車)は、この時代に最初の路線が引かれました。これはウィーンに本格的に導入する前に、テスト的に走らせたためだといいます。1914年には「サラエボ事件」が起き、これにより第一次世界大戦が始まります。戦後はユーゴスラビア王国の、第二次世界大戦後はユーゴスラビア社会主義連邦の一員としてサラエボはボスニアの中心であり続けました。1984年には冬季オリンピックが開かれ、町はいっそう発展しましたが、「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」と呼ばれる90年代の内戦によって、町は何年も包囲されて破壊され、多くの死者を出します。(その3につづく)