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第一次世界大戦はここから始まった。「サラエボ事件」の歴史の舞台へ その1


掲載日:2016/06/18 テーマ:歴史 行き先: ボスニア・ヘルツェゴビナ / サラエボ

タグ: ためになる 史跡 歴史


サラエボを流れる川に架かる「ラテン橋」

落ちついた町なかを流れる川に架かる「ラテン橋」 落ちついた町なかを流れる川に架かる「ラテン橋」

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに、この夏(2015年)行ってきました。宿は旧市街バシチャルファのど真ん中にあるプライベートルーム。チェックインしてさっそく外に出ると、すぐ目の前に川が見えます。市街の中心を流れるミリャツカ川です。川にはいくつもの小さな橋が架かっていますが、そのうちのひとつの「ラテン橋」が目に止まりました。この場所には昔から橋が架かっていましたが、現在の姿は18世紀末の再建のもの。美しい小さなこの橋ですが、この橋は世界史上に名を刻んでいます。それはここが1914年の「サラエボ事件」が起きた場所で、言うなれば、第一次世界大戦はここから始まったとも言えるからです。

第一次世界対戦前夜のサラエボ

“起こるべくして起きた”第二次世界大戦とは異なり、もしかしてこのサラエボ事件がなければ、第一次世界大戦は起きなかったかもしれません。1914年当時、ボスニアに支配権を及ぼしていたのはオーストリア=ハンガリー帝国でした。ボスニアは現在も複雑な民族構成で、近年では1990年代にも内戦を引き起こしましたが、当時もセルビア人のなかに独立、あるいは隣国のスラブ系の国と合併したほうがいいと考える「大セルビア主義」のグループがいました。そんな中、支配国であるオーストリアの皇太子夫妻がサラエボにやってきました。過激派の青年ボスニア党は、皇太子の暗殺を考えます。とはいえこの時点では、暗殺グループもこれが世界で900万人の死者を出す、大戦争のきっかけになるとは思ってもみなかったでしょう。

サラエボにやってきた皇太子夫妻

オーストリア皇太子夫妻ですが、こちらも事情がありました。皇太子のフランツ・フェルディナンドは国王直系ではなくて、もともと皇位継承から外れていました。しかし当初の継承者が死んだため、1889年に継承者になります。ところが、フランツが愛していた女性のゾフィーは、身分が低く、しかもチェコ人だったので、皇室から猛反対を受けます。それで、「2人の間に生まれた子供に皇位を継がせない」「ゾフィーは皇族扱いしない」「公式行事には同席しない」などの厳しい条件で結婚を許されます。1900年、ようやくふたりは結婚。しかしそんなこともあって、夫婦は皇太子でありながら冷遇されていました。そして1914年、フランツはサラエボの軍事演習に招かれます。しかも公式行事に「ゾフィーの同席可」という現地政府の申し出でした。(その2に続く)

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2016/06/18)

※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
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