サラエボを流れる川に架かる「ラテン橋」

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに、この夏(2015年)行ってきました。宿は旧市街バシチャルファのど真ん中にあるプライベートルーム。チェックインしてさっそく外に出ると、すぐ目の前に川が見えます。市街の中心を流れるミリャツカ川です。川にはいくつもの小さな橋が架かっていますが、そのうちのひとつの「ラテン橋」が目に止まりました。この場所には昔から橋が架かっていましたが、現在の姿は18世紀末の再建のもの。美しい小さなこの橋ですが、この橋は世界史上に名を刻んでいます。それはここが1914年の「サラエボ事件」が起きた場所で、言うなれば、第一次世界大戦はここから始まったとも言えるからです。

落ちついた町なかを流れる川に架かる「ラテン橋」 落ちついた町なかを流れる川に架かる「ラテン橋」

第一次世界対戦前夜のサラエボ

“起こるべくして起きた”第二次世界大戦とは異なり、もしかしてこのサラエボ事件がなければ、第一次世界大戦は起きなかったかもしれません。1914年当時、ボスニアに支配権を及ぼしていたのはオーストリア=ハンガリー帝国でした。ボスニアは現在も複雑な民族構成で、近年では1990年代にも内戦を引き起こしましたが、当時もセルビア人のなかに独立、あるいは隣国のスラブ系の国と合併したほうがいいと考える「大セルビア主義」のグループがいました。そんな中、支配国であるオーストリアの皇太子夫妻がサラエボにやってきました。過激派の青年ボスニア党は、皇太子の暗殺を考えます。とはいえこの時点では、暗殺グループもこれが世界で900万人の死者を出す、大戦争のきっかけになるとは思ってもみなかったでしょう。

サラエボにやってきた皇太子夫妻

オーストリア皇太子夫妻ですが、こちらも事情がありました。皇太子のフランツ・フェルディナンドは国王直系ではなくて、もともと皇位継承から外れていました。しかし当初の継承者が死んだため、1889年に継承者になります。ところが、フランツが愛していた女性のゾフィーは、身分が低く、しかもチェコ人だったので、皇室から猛反対を受けます。それで、「2人の間に生まれた子供に皇位を継がせない」「ゾフィーは皇族扱いしない」「公式行事には同席しない」などの厳しい条件で結婚を許されます。1900年、ようやくふたりは結婚。しかしそんなこともあって、夫婦は皇太子でありながら冷遇されていました。そして1914年、フランツはサラエボの軍事演習に招かれます。しかも公式行事に「ゾフィーの同席可」という現地政府の申し出でした。(その2に続く)