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第一次世界大戦はここから始まった。「サラエボ事件」の歴史の舞台へ その3


掲載日:2016/06/18 テーマ:歴史 行き先: ボスニア・ヘルツェゴビナ / サラエボ

タグ: ためになる 史跡 歴史


今では記念碑も外され、評価は中立的に

事件が起きた場所は、今は「サラエボ博物館」になっている 事件が起きた場所は、今は「サラエボ博物館」になっている

「サラエボ事件」その2からの続きです。さて、暗殺者をヒーロー扱いする、そんな評価も時代と共に変わります。この橋の名前は、今ではもとの「ラテン橋」に戻されています。旧ユーゴ時代は、プリンツィプは「帝国支配に立ち向かった英雄」でしたので、橋の入口には彼を讃えるプレートがはめられ、記念碑もあったようです。しかしボスニア・ヘルツェゴビナの独立に伴う内戦で、こうしたセルビア人を讃える「大セルビア主義」の産物は、セルビア人に攻撃を受けているサラエボ市民からすれば、目障りなものでしかなかったのでしょう。独立後は、以前のプレートは取り外され、現在の、より中立的な表現のものに置き換えられ、記念碑も撤去されました。

サラエボ博物館へ行ってみよう

事件が起きた橋の入口には、サラエボ事件について展示している「サラエボ博物館」があります。中に入ってみると、一室だけですが、皇太子夫妻の実物大の人形、当時のニュース、暗殺に使われたピストル(レプリカ)、事件当日の皇太子夫妻の写真、暗殺者たちの写真、事件のあらましを伝える地図などがところ狭しと展示されています。印象的だったのが、事件の模様を再現した5分ほどの映像(TVドラマ?)で、最後まで見てしまいました。世界史の教科書の字面で知るのではなく、その暗殺現場の数メートル先にいるのですから、興味の度合いが全然違います。ラテン橋を訪れたら、ここもぜひ立ち寄ってください。

皇太子夫妻が一時避難した「旧市庁舎」

この事件に関わるもうひとつの場所が、ここから川沿いに100メートルほど離れた場所にあります。フランツ皇太子たちが爆弾事件の後に、一時的に避難した「旧市庁舎」です。オーストリア=ハンガリー帝国時代に建てられた建物で、その印象的な外観は「ムーア風建築」を取り入れたものだとか。しかし1992年の内戦時に砲撃を受けて外壁以外は焼けてしまったため、今の姿は修復後のものですが、外観は古い写真そのままです。現在は国立図書館になっています。

「サラエボ事件」の評価は?

個人的には、プリンツィプはセルビア民族のうっぷんを晴らした英雄かもしれませんが、皇太子はヒットラーのような独裁者でもなく、まだ国王でもなかったので、倒しても独立できるはずもなく、その次のことまで考えていないというやはりただのテロリストだったのではないかと思うのですが、どうでしょう。現地での評価も、セルビア人以外は冷淡なようです。とはいえ、そんなことを考える機会もふだんはあまりないので、私にとってはいいい勉強でした。ドブロブニクなどアドリア沿岸ばかり人気のバルカン半島ですが、少し足を延ばして歴史の舞台を見てみるのはいかがでしょうか? サラエボはドブロブニクからバスで6時間、モスタルからは2時間半の距離です。

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2016/06/18)

※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
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