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平和なサラエボ、街歩き。過去と現在を確かめながら、気ままに歴史散歩へ


1本の通りで多様な文化を感じる

サラエボのカトリック信仰の中心、聖心大聖堂 サラエボのカトリック信仰の中心、聖心大聖堂

サラエボの中心部から街歩きをスタートするなら、起点にちょうどいいのが聖心大聖堂です。カトリック教会の聖堂で19世紀末に建造され、その後ボスニア紛争で被害を受けながらも、修復されて現在に至ります。国内最大級といわれるだけあって、存在感たっぷり。この大聖堂があるフェルハディヤ通りを西へ進み、大通りと交わるところにあるのが“永遠の炎”と呼ばれる戦争記念碑です。火が点され、花束が添えられた慰霊の場所。またフェルハディヤ通りは東へ進むとサラツィ通りと名前を変え、トルコ風の街並みに一変。バシチャルシアというエリアとなって、まったく違う雰囲気になります。この多様性はサラエボの見どころの一つとなっています。

オスマン帝国時代から架かるラテン橋

美しい街の風景となじむラテン橋 美しい街の風景となじむラテン橋

サラエボといえば、まず思い出されるサラエボ事件。1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント皇太子夫妻が暗殺され、第一次世界大戦が始まるきっかけとなりました。その現場がこの付近であることから、ラテン橋はサラエボを象徴する最も有名な橋に。今では観光客が必ず写真を撮るスポットになっています。そんなに川幅の広くないミリャッカ川に架かるラテン橋。見た目はほかの橋とそれほど違っているわけでもないように見えましたが、のどかな美しい景色と、世界の歴史を変える事件とのコントラストが逆に印象的でした。橋の近くのサラエボ博物館では、暗殺事件などについての展示がされています。

市民が命がけで渡ったスナイパー通り

現在は車やトラムが多く行き交う 現在は車やトラムが多く行き交う

一度聞いたら忘れられない名前のスナイパー通り。’90年代のボスニア紛争当時、動くものはすべてセルビア人狙撃兵の標的となったという恐ろしい大通りで、子どもや女性も含め一般市民の犠牲者は甚大でした。私はテレビのドキュメンタリー番組などを見て想像を膨らませていましたが、行ってみると現在のスナイパー通りはいたって普通の通り。多くの車がビュンビュン行き交い、トラムも走る幹線道路でした。ツーリストも見当たらず、そもそも歩道を誰も歩いていない…。本当にこれがあのスナイパー通り?と一瞬疑いましたが、Hotel Holiday(当時のHoliday Inn)という見覚えある黄色いホテルがあったので、やっぱりここかと再確認。Holiday Innは紛争当時、ジャーナリストの拠点となっていました。

町の地形を確かめ、眺望を楽しもう

坂道を上がれば、素敵な景色が… 坂道を上がれば、素敵な景色が…

時間があれば、気ままに路地裏探険をしてみるのはいかがでしょう。サラエボは山に囲まれた盆地にあり、町は東西に流れるミリャッカ川に沿って広がっています。川を挟んで南北どちらに行っても登り坂。それを登ってみるのがおすすめです。私は気の向くまま、北のほうへ向かってみましたが、すぐに町を見下ろせるような位置に上がっていきます。付近は静かな住宅地で、町の風景と向こうの山々の美しい景色が眼下に広がりました。急な坂や階段を上がるのはちょっと大変ですが、住民の方たちは毎日このような眺望を楽しんでいるのかと羨ましくなりました。町の眺めを確認しながら、サラエボの歴史に思いを馳せましょう。

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2020/03/01)

※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
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