かつてはこの地方の中心都市だったサロナ

ローマ皇帝ディオクレティアヌスが晩年を過ごした宮殿から発展した都市が、アドリア海に面した都市スプリットです。その宮殿跡は世界遺産にも登録されて観光客が絶えることがありませんが、今回紹介するのはそのスプリットの郊外にあるローマ遺跡、サロナです。ディオクレティアヌスが皇帝引退後、スプリットに宮殿を造った理由は、このサロナが彼の生地だったからでした。サロナは1〜4世紀のローマ時代には、ダルマチア州の州都として栄え、全盛期には2万人ほどの人口を擁していました。この時期に多くの建造物が建てられ、スプリットにディオクレティアヌスの宮殿が造られると、町に引かれていた水道を延長して、長い水道橋が造られました。

サロナ遺跡の向こうには、スプリットの市街が見える サロナ遺跡の向こうには、スプリットの市街が見える

異民族の侵入により、町は放棄

ディオクレティアヌスによるキリスト教の「最後の大迫害」の際には、サロナの司教の聖ドムニウスが殉教します。しかしその10年後に宗教の自由が認められるようになり、ローマ帝国がキリスト教化していくと、殉教の地としてサロナにはキリスト教の建物が多く造られるようになります。しかしローマ帝国の衰退と共に、サロナも徐々に異民族の侵入を受け、ついに639年のアヴァール人とスラブ人の侵略により、町は破壊されてしまいます。サロナの住民は町を放棄して、ディオクレティアヌスの宮殿を要塞化して移り住み、以降、この地方の中心は現在のスプリットに変わるのです。

サロナ遺跡への行き方

では、現在は遺跡となったサロナに行ってみましょう。スプリット市内からは、1番の市内バスが遺跡の北入口まで1時間に1〜2本出ており、30分ほどで到着します。サロナは現在はスプリットの郊外の町ソリンの一部で、ソリン町を通り過ぎたあたりに遺跡があります。とくに大きな看板はありませんが、あらかじめ運転手に告げておけば、降りる場所を教えてくれますよ。バス停もとても小さなものです。遺跡は丘の斜面の1〜2km四方に点在しています。日中はオープンしていますが、11〜3月の日曜日は全日、4〜10月の日曜日は13時で閉まってしまうのでご注意下さい。バス停から200メートルほど歩くと、チケット売り場がある遺跡の入口に出ます。入場料は30クーナ(約540円)。遺跡内には飲み物の売店などはないので、暑い夏は水を持参するといいでしょう。(後編につづく)