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海外現地発ガイド通信

幸せな日々を過ごしたカレル・チャペック最後の家


掲載日:2020/06/09 テーマ:美術館・博物館 行き先: チェコ / プラハ

タグ: ためになる ロマン 博物館


義理兄が結婚祝いに贈った館

ドブジーシュを治めていたマンスフェルト伯爵家の領地で、管理人が住んでいた館をパリベツが買い取ってカレルへ贈る ドブジーシュを治めていたマンスフェルト伯爵家の領地で、管理人が住んでいた館をパリベツが買い取ってカレルへ贈る

「園芸家12カ月」や「ダーシェンカ」でお馴染みのカレル・チャペック。チェコの作家だが日本でもファンが多い。自ら描いたイラストも評判が良く、心温まる本となって家庭で大切に保存されている。1890年、東ボヘミアの北部にあるマレー・スヴァトニョヴィツェという小さな町でカレル・チャペックは生まれた。優しい姉と、仲の良い兄がいた。兄のヨゼフは後に画家になったが、カレルと共同で執筆活動も行った。ブルノの高校を卒業したカレルはプラハの大学で哲学を学び、ベルリンやパリにも短期留学している。戯曲を書いて演劇に関わっていた1920年に女優のオルガと知り合う。長い交際の末に2人が結婚したのは1935年のこと。喜んだカレルの姉とその夫で資産家のヴァーツラフ・パリベツが結婚祝いに夏の別荘をプレゼントしてくれた。それがスタラー・フチの館だった。

なかなか行きにくい場所だがチャペックファンには必見の記念館

カレルとオルガは裏庭の草原を眺めながらここで食事をしていた カレルとオルガは裏庭の草原を眺めながらここで食事をしていた

プラハの南西約45キロのスタラー・フチStara Hut。電車では乗り換えなしでプラハから1時間半で来ることができる。駅を出たらカルラ・チャプカKarla Capka通りを真っ直ぐ、ひたすら歩く。15分ほど歩くと右手に大きな池が見えてくる。池に沿って右へ曲がり、そのまま歩いて行くと左手にカレル・チャペック記念館がある。ここまで駅から徒歩20〜30分ほどかかるが、以前は一駅手前のドブジーシュDobrisから歩かねばならず、40〜50分ほどかかった。それでも時々この記念館に日本から訪れる人がいた、というので日本でのチャペック人気が伺える。館を見て直ぐに、「園芸家12カ月」(中央公論新社)の表紙と同じ家、と判る。来る途中は、こんな辺鄙な所へ何故、と思ったが、心行くまで園芸家になれそうな場所なので、なるほど、と納得。館の裏庭には無限の草原が広がっていた。プラハに住んでいたカレルはこの館を気に入り、結婚後は殆どここで過ごした。

愛犬や園芸家の微笑ましい作品と、鋭い人間批判の作品

中央の写真がカレル、左手には兄のヨゼフと一緒の写真が、右手にはオルガとの写真が飾られている 中央の写真がカレル、左手には兄のヨゼフと一緒の写真が、右手にはオルガとの写真が飾られている

こぢんまりとはしているがなかなか瀟洒な館で、素晴らしい新婚生活を送っていたことが伺える。広い庭で大好きな庭いじりができたし、側で愛犬も走り回っていただろう。しかしカレルは1938年にインフルエンザにかかって肺炎を患い、48歳で世を去った。オルガと送った幸せな日々はわずか3年と4カ月だった。カレルは写真を撮るのも上手で、館内にはオルガの写真が飾られている。カレルの本がたくさん展示され、中でも代表作「山椒魚戦争」は各国語に翻訳されている。人間が山椒魚を操って働かせていたが、そのうち繁殖した山椒魚が人間と戦う、というSF小説だ。書斎は彼が住んでいた当時と同じに再現されている。3歳年上の兄ヨゼフは画家であり文筆家でもあった。カレルと共同で執筆活動を行い、カレルの本の挿絵を手掛けたりもしている。「園芸家12カ月」の中に描かれた挿絵はヨゼフによるものだ。

カレルが想像した恐ろしい世の中が今、現実に

カレルが描いた劇作家のフラーニャ・シュラーメク。鉛筆やペン、消しゴムはカレルが使ってたもの。 カレルが描いた劇作家のフラーニャ・シュラーメク。鉛筆やペン、消しゴムはカレルが使ってたもの。

この館で書かれた短編の戯曲がある。それは「白い病」という題名。体に白い斑点ができる病気が流行り始め、その斑点が腐っていくという恐ろしい病気だ。どんな薬も効かず、治療方法も無い。それは“シナ”で発生してたちまちヨーロッパに感染が広がったという・・・。なんだか今の世界を先取りしたような内容だ。カレルは戯曲「R.U.R」で人造人間である“ロボット”という言葉を生み出した。科学や技術の発展は人間を不幸にするのではないか、人間が造ったものに人間が滅ぼされる、と疑問を投げかけている。兄ヨゼフと共に繰り返しナチス批判を行っていた。そのため1939年にナチスがプラハに侵攻した時、真っ先にゲシュタポがカレルを捕らえにやって来た。しかしカレルは前の年に亡くなっている。ヨゼフは捕らえられて北ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所へ送られ、終戦を目前にした1945年4月に収容所で亡くなった。

データ

カレル・チャペックの仕事部屋に置かれた机 カレル・チャペックの仕事部屋に置かれた机

カレル・チャペック記念館
Pamatnik K. Capka ve Stare Huti

住所:Stara Hut 120、262 02, Stara Hut
電話:+420 318 522 265
開館:
4月から10月は火曜から日曜 
9:00〜12:00、12:30〜17:00
月曜は休館
11月から3月は月曜から金曜 
9:00〜12:00,12:30〜16:00
土曜、日曜は休館
入館料:40チェコ・コルナ
www.capek-karel-pamatnik.cz
pamatnik@capek-strz.cz
アクセス:プラハ中央駅からスタラー・フチStara Hutまで乗り換えなしで1:29分

 

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2020/06/09)
※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
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