アラブ軍がエジプト攻略後に建設した都市

エジプトの現在の首都はカイロですが、エジプトはその長い歴史の中で首都を幾度か移しています。カイロの南にあったエジプト古王国時代のメンフィス、ナイル川中流域のテーベ(現ルクソール)、そして地中海に面したアレクサンドリアなどです。紀元前331年のアレクサンドロスによるエジプト征服以降の約1000年間、エジプトの中心都市はアレクサンドリアでした。しかし641年、東から来たイスラム勢力がアレクサンドリアを攻略し、ナイル川東岸に新しい都市を建設します。これがフスタートです。フスタートがあったのは、現在のカイロの南のオールドカイロ地区とその東側のエリアです。当初はアラブ軍が駐屯する「ミスル」と呼ばれる軍営都市でしたが、次第に非アラブ人や商業従事者たちも住む大きな都市へと成長していきました。

カイロのはずれにあり、広い空き地のように見えるが、実はかつての都の廃墟 カイロのはずれにあり、広い空き地のように見えるが、実はかつての都の廃墟

海外との交易も盛んだったフスタート

なぜここに都市が建設されたか、こんな伝説があります。アラブ軍によるエジプト攻略の際、将軍アムル・イブン・アル=アースが宿営していたテントにハトが営巣し、抱卵します。アレクサンドリア以外に都を作るように命じられていたアムルはそれをお告げととらえ、その場所に都市を作ったというのです。9世紀にはフスタートの人口は12万人に達しました。イスラム帝国がウマイヤ朝、そしてアッバース朝へと変わり、エジプトの中心は一時(750〜868年)フスタートの北方のアル・アスカルに移ったこともありますが、905年にフスタートはエジプトの首府に戻ります。969年にはファティマ朝によりフスタート北方にカイロが建設されますが、フスタートの経済都市としての繁栄は続き、12世紀には隣接するカイロを含む都市としての全盛期を迎え、人口は20万人になります。これは当時、世界的にもトップクラスの人口でした。

支配者が自ら火を放ち廃墟と化したフスタート

繁栄時のフスタートは、14階建ての高層住宅が建ち、東方からの珍しい物産が売買されていました。またフスタートはイスラム陶器の生産地としても有名でした。多くの中国製陶磁器(北宋時代のもの)も出土していることから、当時の東方貿易の活況ぶりもわかります。しかしこの都市も滅びる時が来ました。1168年、エルサレム王国のアモーリー1世がエジプトへ侵攻した際、占領されて要塞化されることを恐れたファティマ朝は、自らの手で都市を焼き払ってしまいます。その後、都は隣接するカイロに移り、フスタートは再建されずに廃虚のまま放置されました。20世紀になりようやくフスタートの発掘が始まったのです。

フスタートとオールドカイロを見学しよう

フスタートの廃墟があるのは、オールドカイロに隣接した東側。クーグルマップで見ると大きな空き地があるのがわかります。最寄駅はメトロのマリ・ギルギス駅。ほかにもオールドカイロには、エジプトで最初に建てられたモスク「アムルモスク(ガーマ・アムル)」、キリスト教のフレスコ画や彫刻、ステンドグラスなどの展示がある「コプト博物館」、イエスの家族が過ごしていた場所に建てられたという「聖ジョージ修道院」、2017年にオープンした「エジプト文明博物館」などの見どころがあります。フスタートの廃墟は公開されていないので、回りから見るだけですが、オールドカイロの観光のついでに外から眺めてみてはいかがでしょうか?