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エストニアのお酒/エストニア産のウォッカが美味しすぎる理由を知りたいなら、ヴィフラ荘園へ


掲載日:2017/08/29 テーマ:美術館・博物館 行き先: エストニア / タリン

タグ: スパ リゾート 大自然 地酒 博物館


首都タリンの郊外にあるゴージャスなヴィフラ荘園

ヴィフラ荘園内の領主の館 ヴィフラ荘園内の領主の館

なぜエストニアのウォッカは美味しいのでしょう? その理由は、首都タリンから東へ車で約1時間半のところにある、ラヘマー国立公園内の「ヴィフラ荘園(ヴィフラ・マナー)」に行けばわかります。荘園(マナー)とは中世ヨーロッパで貴族が所有していた領土のことで、当時のバルト海東沿岸の荘園の領主はおもにバルト・ドイツ人でした。エストニアの荘園は、広大な土地を持つのが特徴で、森や草原の間を川が流れる中、水車や畑があります。領主の邸宅を中心に、農民が住む家屋や納屋が点在し、家畜が放牧されひとつの集落のようでした。そのうちのひとつで、800年以上の歴史があり、約50ヘクタール(東京ドーム約10個分)もの敷地をもつヴィフラ荘園は、現在サウナやスパ、プール、ゴルフ場などを併設する豪華なリゾートホテル「ヴィフラマナー・カントリークラブ&スパ」となっています。

18〜19世紀、エストニアはウォッカで潤った

当時の製造過程が伺えるイラスト資料も多い 当時の製造過程が伺えるイラスト資料も多い

18〜19世紀、ヴィフラ荘園内ではウォッカが造られていました。現在でも工場跡が残されていて、当時のウォッカ製造過程がわかる博物館(入場無料)になっています。エストニアでウォッカ造りがブームになったのは1765年頃。帝政ロシア時代、エカテリーナ2世の命により貴族だけにウォッカ製造が許されていたそうです。最初は大麦やライ麦で作られていましたが、1830年代にジャガイモ栽培が始まると原料はジャガイモが主流となりました。アルコール度数は50〜55度でした(現在は35〜40度)。荘園で作られたウォッカはロシア軍隊やロシア帝国の首都サンクトペテルブルグで売られ、その莫大な売上金でバルト海沿岸に豪華な荘園が次々に建てられたということです。記録によると19世紀には1200もの荘園があり、そのうちの約700の荘園にはウォッカ工場がありました。勤勉なエストニア人のことです。味の良いウォッカを造るため、領主や使用人たちが日々努力を重ねていたことは容易に想像できます。

禁酒令の時代でもウォッカ密輸は大切なビジネスに

博物館に展示された禁酒令時代の写真 博物館に展示された禁酒令時代の写真

ウォッカ博物館では、イラストや写真、模型などを展示していて当時の様子を伝えています。注目したいのが、禁酒令が敷かれた恐慌時代の1枚の人物写真です。体中に小分けにしたウォッカを巻き付けた男性・・・これは密輸のための工夫です。この上に分厚いコートを着て酒を隠し運んでいたというから驚きです。細身の女性は、もっとたくさんのウォッカを体に巻き付けて運んでいました。とくに1920年代〜30年代、エストニアのタリンを中心とするバルト海沿岸では、ヨーロッパの中でも酒の密輸がもっとも盛んで、重要なビジネスとなっていました。そんな歴史を経たエストニアのウォッカ、現在でも最高級の小麦と軟水のみを使用して造られます。まだ知名度は低いですが、一度味わってみるとそのレベルの高さを実感できるはずです。ぜひとも現地に行って試してみませんか。

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2017/08/29)

※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
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