一度だけ引っ越した教皇庁。その先は南フランス

イタリアのローマ市内にある、欧州で一番小さい独立国バチカン市国。そこにはカトリック教会の総本山サン・ピエトロ寺院があり、最高位の聖職者である教皇が住んでいます。その住まいのことを教皇庁とよび、教皇庁は一般には公開されいていません。住んでいる場所なので仕方ありませんが、過去の教皇庁は一般人である私たちも見学することができます。その場所はイタリア内ではなく、隣の国フランス、アビニョン。教皇庁はずっとバチカン市国にあるものだと思っていましたが、たった一度だけ引っ越したことがあったのです。

旧宮殿と新宮殿の間にある中庭からの眺め 旧宮殿と新宮殿の間にある中庭からの眺め

教皇がフランス王の影響を強く受けていた時代

アヴィニョンへ教皇庁が移動したのは、13世紀のこと。十字軍派遣の失敗などにより、教皇の権力が低下しつつあった頃に、フランス王フィリップ4世が教皇を襲うというアナーニ事件が起こります。それ以降、教皇はフランス王の強い影響を受けるようになっていきます。教皇がアヴィニョンへ遷都したのもフランス王の指示によるもの、という説があります。後になって教皇がバチカンへ戻ろうとしたときには、イタリアは神聖ローマ帝国に支配されており、戻るに戻れなくなってしまいました。

たった2代の教皇で、豪華な宮殿を作り上げた

教皇庁を一時的にアヴィニョンのドミニコ会修道院に置いたのが、教皇クレメンス5世。その後、1334年からベネディクト12世のもとで新しい教皇庁の建設が始まります。次のクレメンス6世が1352年まで規模を拡大し、作り上げていきました。2人の教皇のみで建てたとは思えない、それはそれは大そう立派な宮殿です。そして、その後続くフランス出身の9代の教皇らが滞在することになります。1377年にローマへ帰還を果たしますが、教会大分裂が起こり、アヴィニョン側が立てた教皇は、再びこの宮殿を住まいにするのでした。

歴史地区の北側に佇む、巨大な教皇庁

現在のアヴィニョンの町に行ってみると、町を囲む城壁が残っていました。城壁内の歴史地区が観光の中心となります。鉄道駅前のレピュブリック門から入り、一本道を北へ進んで行くと時計台広場に出ました。そこを通過し、左手に見えてきたのが教皇庁。教皇だけでなく聖職者、従事者たちも住んでいたわけですが、外周を歩いた第一印象はあまりにも広大すぎるということ。当時、いかに富と宗教の権力がここに集結していたのか、うかがい知ることができます。(2へ続く)