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海外現地発ガイド通信

ローマ時代の名残をのこすパリの街並みを散策!!


掲載日:2007/12/25 テーマ:美術館・博物館 行き先: フランス / パリ

タグ: 教会 博物館 歴史


その昔、パリに住んでいた原住民はヒゲもじゃの蛮族だった?

カルチエ・ラタンのシンボル、ソルボンヌ大学前の広場で。寒いけれども光の優しい、ある冬の日曜日 カルチエ・ラタンのシンボル、ソルボンヌ大学前の広場で。寒いけれども光の優しい、ある冬の日曜日

紀元前52年からの6世紀間というもの、パリはローマ帝国に支配されていました。原住民はケルト族のパリジという部族でしたが、征服者ローマ人ともうまく折り合いがつき、この6世紀間、両者は仲良く共存、洗練された文化が開花しました。当時はリュテースという名で呼ばれていたパリ、現在のシテ島とセーヌ川左岸の5区にあたる地域,カルチエ・ラタンに栄え、この周辺には、今でも、ローマ時代の名残がわずかながらも残っています。

中心は現在のサン・ジャック通り

パンテオン。ローマ時代は、この場所に、フォーラムと言われる寺院、市役所、ショッピングモールからなる街の中心になる建物があったということ パンテオン。ローマ時代は、この場所に、フォーラムと言われる寺院、市役所、ショッピングモールからなる街の中心になる建物があったということ

今はソルボンヌ大学のあるサン・ジャック通り、サン・ミッシェル通りあたりが、リュテースの繁華街でした。ローマ時代の人々は「楽しくなきゃ人生じゃない!」という生き方。「最近、忙しくてねー」なんてぼやくのは野暮という時代でした。だから、劇場、コンサートホール、各種催し物会場などの娯楽施設が街の建物の20%を占め、中でも重要だったのは、なんと公衆浴場。午前中しか働かないのが普通、という時代、午後は浴場に行ってリラックスしていたということです。

クリュニー浴場跡

中世博物館、クリュニー浴場跡が見れます 中世博物館、クリュニー浴場跡が見れます

ローマ時代の浴場は、ただ身体を洗う場所ではありませんでした。マッサージにマニキュアサロン、哲学をめぐって議論してしまう場所でもあり、奥の深い「裸のつきあい」ができる場でした。男女別々の日もあれば、混浴してしまう日も…そういえば、よく「フランス人はあまりお風呂に入らない」と言われていますが、この時代の人々はお風呂が大好きでした。この習慣は14世紀、ペストで人口の半分が病死してしまうまで続きました。ペストは水を通して皮膚の中に入り込むと信じられ、それ以来、人々はなるべく湯水を使わないで汚れを落とすようになったということです。

中世時代、現ノートル・ダム大聖堂広場にあったのは?

中世時代、この黄色い石畳のところに、居酒屋が所狭しと並んでいました 中世時代、この黄色い石畳のところに、居酒屋が所狭しと並んでいました

6世紀、ローマ帝国が滅びると中世に入ります。クローヴィス率いるフランク族に支配され、リュテースはパリと名を変えます。現在のノートル・ダム大聖堂の場所にはサン・エチエンヌ教会が立っていました。そして大聖堂前広場は、評判の悪い居酒屋がぎっしり並び立っていたということです。どこの国でも、有名な巡礼地の周りには俗っぽいお土産やさんが並んでいたりするもの、聖なるものと俗なるものはいつでもどこでも隣り合わせ、おもしろいですね。

【関連情報】

英語での説明もあります 英語での説明もあります

■ノートル・ダム考古学博物館(Crypte archologoque du parvis de Notre Dame)
住所:Parvis de Notre Dame 開館時間:毎日朝10時から夕方6時間出(月曜閉館)
入場料:3.30ユーロ
■中世博物館、クリュニー浴場跡(Musee national du Moyen Age, Therme de Cluny)
住所:6 Place Paul-painleve,75005,Paris
開館時間:10時から夕方17時(火曜日休館)
入場料:3.30ユーロ

 

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2007/12/25)
※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
 提供情報の真実性、合法性、安全性などについては、ご自身の責任において事前に確認して利用してください。
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