- 夏樹
- 音楽修行に渡仏し20年。教会オルガニストとして活動する傍ら、日本の女性誌やWEBにフランスの新鮮な話題を常時発信。在仏日本人向けコミュニティー誌「Bisou」や、海外で活動するライター仲間が集るメルマガ「地球はとっても丸い」の編集にも携わる。
出発エリアをに変更しました。
ポン・デ・ザール(芸術橋)。正面はルーブル美術館。冬でも、こんなきれいな青空の日があります
ルーヴル美術館からセーヌ川を左岸につなぐ橋、Pont des Arts(芸術橋)は、パリにある37の橋の中でも珍しく、木の橋板でできています。名前にちなんで、すぐそこに芸大があります。渡りきると、正面にあるのはアカデミー・フランセーズ(学士院)の建物。そして、ここからがサン・ジェルマン・デ・プレ。もともとは、中世初期、6世紀に建てられたパリ最古の教会サン・ジェルマン修道院の周りに発展した界隈、辺り一帯が修道院の敷地で、畑の広がる田舎でした。
南仏風の小さな広場、ここも修道院の一部でした
修道院とはいえ、もとをただせば、当時のフランス王チルドベールがスペインで略奪してきた、聖人ヴァンサンの祭礼服を大切に秘蔵するために建設したもの。その頃から、カトリック教では、聖人や殉教者の遺品、髪や骨、果ては瓶詰めの血など、遺体の一部を礼拝するようになったからです。武力で奪った物を宝として祀るために教会を建設するなんて、ずいぶんひどい話ですが、中世フランスは、まだまだ野蛮で血なまぐさい時期だったのです。近くに、今は、流行のブテックが立ち並ぶrue du four(かまど通り)がありますが、それも、この辺りに修道院のかまどがあったことにちなんでいます。
こんなすてきな額縁、おみやげにいいですね
サン・ジェルマン・デ・プレは、18世紀、百科全書派と呼ばれる知識人たちのたまり場でした。彼らは、フランス人が今でも大好きな「批判精神」の先駆ともなった人々で、「なんで王様は私たちよりお金持ちなんだ?」、「神様なんてほんとうにいるの?」という素朴な、でも、当時は禁句だった疑問を投げかけました。そして、カフェというのは、そういう議論が、一般市民の間で盛り上がった場所だったのです。有名なのは、百科全書派の人々が通った、今でも残っているキャフェ、「プロコップ」。店内には、ヴォルテールやダランベールなど百科全書派の著作が並んでいます。
色鮮やかな絵の具たち、見るだけでうっとり
サン・ジェルマン・デ・プレで始まった「批判精神」、これが結局、「王制はもう嫌!人間はみんな平等であるべき」という革命思想につながっていきました。だから、この辺りには革命派の秘密集会が開かれた地下室などが残っています。革命派の中には、処刑者を苦しませずにすむ、というギロチンを発明したギロチン医学博士もいたということです。そして、1789年の革命後、ルイ16世とそのお妃マリー・アントワネットを始めとした貴族の多くが、ギロチンで処刑されました。
キャフェ・ラ・パレット。芸大の若者たちでいっぱい
■ Procope
住所:13 rue de l' ancienne-comedie,75006 Paris
開店時間:毎日10時半から朝1時まで
www.procope.com(英語あり)
■絵の具屋さん
住所:Esquisse:3 rue des Beaux-Arts, 75006, Paris
www.esquisseparis.fr
額縁屋さん:rue bonaparteに数件
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