インド人がチャイを飲むきっかけとなった大事件?

さて、16世紀に南インドに伝わったコーヒーは、チクマンガルール産ということから「オールド・チック」と呼ばれていましたが、1870年代に流行ったコーヒーを枯らす「さび病」のため、インド、スリランカでは全滅してしまいます。そのため現在、南インドで栽培されているコーヒーは、20世紀に入ってさび病に耐性が強いよう品種改良されたアラビカやロブスタコーヒーなのです。この「コーヒー栽培の壊滅」はインドの食文化に大きな影響を与えます。それにより、今までコーヒー栽培をしていた農園が一斉にお茶の栽培に転換したのです。コーヒー農家が、茶農家に転じたということですね。それにより、インドでの茶の生産が飛躍的に伸び、英国人ばかりかインド人の間にも、安価な南インド産のお茶を飲む習慣が浸透していきました。この事件がなければ、インドではチャイではなく、コーヒーのほうが普及していたかもしれません。

コーヒーの歴史・その3 インド人がチャイを飲む理由? ヨーロッパでは禁止令も コーヒーの歴史・その3 インド人がチャイを飲む理由? ヨーロッパでは禁止令も

昔もあった“価格破壊

さて、時代を少し戻すと、17世紀にはオランダ人がスリランカ、次いでインドネシアのジャワでコーヒー農園を始めます。こうして世界の多くが植民地化される時代に、コーヒーだけではないですが、大規模なプランテーション農業が広まって行くのです。それまでもアラビア半島でコーヒーは栽培されていましたが、西欧式の合理的な大規模農園でありませんでした。こうして安価なコーヒーがヨーロッパに供給され、価格破壊が起き、一般の人たちも飲める価格になっていったのです。

19世紀にはヨーロッパでは庶民の飲み物に

ヨーロッパでは18世紀にはコーヒーハウスは大流行で、1777年にプロイセン王が「コーヒー禁止令」を出すほどでした。これはみんながコーヒーばかり飲み、輸入赤字が広がったので、「もっと国内のビールを飲むように」と「ビール推奨令」と一体で発布されたといいます。また、それまではコーヒーを煮出して上澄みを飲む「トルコ式」の飲み方だったのですが、それがどんどん考案されて、1800年代になるとドリップ式やサイフォン式が広まります。やっと、今日でもみなさんが知っている飲み方になってきましたね。フランス革命の頃には、すでにパリには700軒ほどのカフェがあったといいます。カフェやバールのないヨーロッパなんて想像できませんが、そんな歴史があったことを頭に入れておくと、旅も楽しくなるでしょう。