日本で37年ぶりのリバイバル上映が決まったジョージア(グルジア)映画

2015年11月21日から東京の岩波ホールで公開されるジョージア(グルジア)映画『放浪の画家 ピロスマニ』。今回は1978年の日本公開以来のリバイバル上映になります。もっとも製作は1969年なので、それから考えるとなんと半世紀近く前の映画なんですね。公開当時、この映画は高い評価を受け、1978年のキネマ旬報外国映画ベストテンでは第4位(ちなみに同点が『未知との遭遇』、『スターウォーズ』は9位)、「文部省特選」にも指定されています。さて、この映画はその名の通り、画家ピロスマニに焦点を当てたものですが、ピロスマニとはいったいどんな画家だったのでしょう。

映画もリバイバル! ジョージア(グルジア)の放浪画家ピロスマニを知る 前編 映画もリバイバル! ジョージア(グルジア)の放浪画家ピロスマニを知る 前編

今から百年前のジョージア(グルジア)に生きた画家

「ピロスマニ」ことニコロズ・ピロスマナシュヴァリは、1862年にロシア帝政下のグルジアに生まれます。しかし幼い頃に両親が亡くなったため、ピロスマニは親族に引き取られて成長。しかし20代半ば、その一家の女性に恋文を出したことから、ピロスマニは家を出ることになります。その後、いくつかの仕事をしますが長続きはせず、30代の後半からはティフリス(現在のトビリシ)の町なかを点々としながら、看板描きなどで生計を立てるようになります。彼が40代半ばの1905年、フランスからマルガリータという女優がティフリスに巡業にやって来て、ピロスマニは彼女を絵にしています。彼女とピロスマニの交流がどの程度あったのかはわかりませんが、このできごとがやがて歌になって大ヒットするのです。

「百万本のバラ」の画家のモデルだった

1980年代に世界中で大ヒットした「百万本のバラ」という歌をご存知でしょうか? 日本では1987年の加藤登紀子バージョンが広く知られています。この曲は1981年にラトビアで作られた曲でしたが、1982年にロシア語版が作られた時に歌詞がロシアの詩人により、ピロスマニとマルガリータの恋物語に改められました。このバージョンが大ヒットし、各国でもこの訳詞で歌われることになったのです。貧しい画家が女優に恋をし、家とキャンバスを売って町中のバラを買い占め、女優の泊まる部屋の窓から見える広場にそれを敷き詰めます。しかし女優はどこかの金持ちのおふざけと思い、次の町へと去って行くのです。画家の恋は実りませんでした。(後編につづく)