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歴史の真実! ベルリンの壁は丸かったって、知ってる?


掲載日:2016/11/26 テーマ:歴史 行き先: ドイツ / ベルリン

タグ: おもしろい ためになる 一度は見たい 街歩き 歴史


東西ドイツ分裂、ベルリン分裂

歴史の真実! ベルリンの壁は丸かったって、知ってる? 歴史の真実! ベルリンの壁は丸かったって、知ってる?

東西ドイツが統一されてから25年以上が経ち、今では、ドイツが東西に分裂していた歴史を具体的に見られるチャンスは少なくなっています。寸断されていた道路や地下鉄などは復旧し、東西ドイツ分裂の象徴として残されているのは、「ベルリンの壁」くらいになってしまったかもしれません。残されたベルリンの壁には、多くのアーティストが作品を描き、旅行者の目を楽しませてくれています。そして僕たちは、この国の経験した不幸な時代に思いをはせるのでした。しかしベルリンは、東西分裂時代には、東ドイツの領内にあったはずです。西ドイツは暫定的に、西部のボンを首都としましたが、それもベルリンが西ドイツ領ではなかったからです。統一後、ベルリンに行ってはじめて気づかされたことがあります。「ベルリンの壁」は、東西ベルリンを分ける国境の壁だと思い込んでいたのが、実は間違いだったことです。

ベルリンの壁が丸いわけとは?

僕のようなおバカさんは、歴史をきちんと学んだ人からしてみれば、吹き出すような話かもしれません。ただ、僕と同様に、ベルリンの壁こそが東西ドイツを分けた壁だと信じている人がいるのではとも思います。なぜなら「ベルリンの壁」が崩壊したからこそ、東西ドイツが統一したのです。そもそもベルリンは、東西どちらのドイツでもなかったのです。東西ドイツの国境は、ベルリンよりももっと西ドイツ寄りにありました。ベルリンは、第二次大戦の戦勝国である米英仏ソが、四カ国で分割することになっていたのです。ところが米ソの対立激化で東西ドイツの分裂が決定的になると、ベルリンもまた、米英仏が実効支配する西ベルリンとソ連が支配する東ベルリンに分かたれ、1961年には、ソ連が西ベルリンをコンクリートの壁でぐるりと囲んでしまったです。これがベルリンの壁でした。

ベルリンの壁とは何だったのか?

ソ連は陸路を封鎖し、西ベルリンを兵糧攻めにしてやろうとしたのです。対してアメリカは、計27万回以上も飛行機を飛ばして物資を送り続けて、不毛な戦いは11か月も続きました。それでもソ連は、東ベルリンから西への亡命を防ぐべく、東ドイツ国民には西への移動を許しません。ところが西から東への移動は自由。しかもベルリンと西ドイツとは、東ドイツ領内を横断し、鉄道と高速道路で結んでいたのです(いずれもノンストップが条件)。もちろん空路もOK。ただしドイツ航空は、ベルリンが自国でないので飛べません。そして1989年、ベルリンの壁が崩壊すると、東ドイツ政府は瓦解し、翌年東西ドイツが統一、ベルリンも晴れてドイツ領となり、91年には首都に戻されたのです。「ベルリンの壁」は国境ではなく、分裂ドイツの象徴だったわけですね。もちろん東ドイツが消滅すると、国境間にあった鉄条網も撤去されました。

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2016/11/26)

※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
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