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歴史を知れば、見学ももっと思い出に残る! ベルリンのシンボル「ブランデンブルク門」


掲載日:2020/09/26 テーマ:観光地・名所 行き先: ドイツ / ベルリン

タグ: 建築 史跡 歴史


ブランデンブルク門は、なぜ「ベルリンのシンボル」なの?

ライトアップされると一層ドラマチックに ライトアップされると一層ドラマチックに

有名観光地って、意外とその歴史や成り立ちを知らないまま、単に「写真映えがいい」「有名だしね」と写真に収めて満足してしまいませんか? たとえばベルリンのブランデンブルク門。ベルリンのシンボルといえば今も昔もここです。高さ26m、幅65.5m、奥行き11mで、古典主義様式の堂々たる門です。ここがなぜベルリンのシンボルと言われているのか、改めてふりかえってみましょう。

14か所(のちに18か所に)作られた、関税門のうちの一つでした

ドーリア式の重厚な門柱 ドーリア式の重厚な門柱

ブランデンブルク門建設の歴史は、1730年代中頃に遡ります。当時、ベルリンは市街地を取り囲む「ベルリン税関壁」が作られており、それに伴って、街道から市街地へ入るための関税門も設けられました。ブランデンブルク門もそのうちの一つです(1791年竣工)。名前の由来は、ブランデンブルク辺境伯領の首都だった都市ブランデンブルクに通じる街道が、ここからスタートすることから。ちなみに、バッハの有名な「ブランデンブルク協奏曲」は、ブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒに献呈したことからそう呼ばれているんですよ。

ヴィクトリア像にはぜひ注目してください

この広場はもとは「カレ広場」だったが「パリ広場」に変わった この広場はもとは「カレ広場」だったが「パリ広場」に変わった

税関壁は1868年から次々に取り壊されていきます。しかしブランデンブルク門はそのまま残され、ベルリンの玄関口としての象徴的役割を担いつづけました。門の上には、四頭立ての馬車に乗る勝利の女神ヴィクトリアのブロンズ像が飾られていますが、このヴィクトリア像は、世の移り変わりとともに数奇な運命をたどります。1806年にナポレオンが攻め込んできてベルリンを占領すると、戦利品としてヴィクトリア像をパリへ持ち去ります。しかし、その後プロイセン軍がパリに入城してヴィクトリア像を奪い返しました。このときから、ブランデンブルク門の前の広場を「パリ広場」と呼ぶようになりました。

持ち物が変わったことで、時代が変わったことが分かる

杖の上に、鉄十字と鷲が 杖の上に、鉄十字と鷲が

ベルリンに戻ったヴィクトリア像は、ドイツを象徴する鉄十字の杖を持たされます。ところが、冷戦中は鉄十字は外されてオリーブの枝を持つ姿に変えられていました。ご存知のとおり、ベルリンは第二次世界大戦後の1949年に東西ドイツに分断され、1989年のベルリンの壁崩壊までの間、冷戦の最前線でした。壁が崩壊してから、東西ドイツ統合のシンボルとして、また鉄十字の杖を持つことになったのです。

歴史を知ってじっくり鑑賞してみよう

夜遅くでも撮影に励む観光客も(私ですが……) 夜遅くでも撮影に励む観光客も(私ですが……)

ブランデンブルク門に行ったら、ぜひ頭上のヴィクトリア像を見上げてみてください。ヴィクトリア像が掲げる鉄十字の上には、ドイツ国章のモチーフともなっている鷲が翼を広げた、勇猛な姿も見られます。古代ギリシアの柱を模した門ですが、この杖だけは非常に近代的で、今を生きるドイツを感じさせます。1700年代から、交通の要所として栄えてきたブランデンブルク門。造形の美しさとともに、歴史の重みもぜひ見に行きましょう!

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2020/09/26)

※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
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