- Kei Okishima
- ライター。早稲田大学第一文学部卒業。ドイツには高校時代に国際ロータリークラブ青少年交換留学でバイエルン州に一年間、大学時代に交換留学でベルリン自由大学、フンボルト大学に一年間留学する。その後ドルトムント大学にてジャーナリズム学科を専攻。現在はフリーライターとしてヨーロッパを中心に活躍中。
出発エリアをに変更しました。
昼間は多賑わいの通りも夕方になると少し客足が減る
北ドイツの河川港町ブレーメンに、とっても可愛らしい小さな地区がある。シュノーアと呼ばれるこの地区はブレーメン旧市街の南端にあるので、市庁舎や大聖堂が立ち並ぶ歴史的マルクト広場からはちょっと離れている。町を歩いていてバッタリ行き当るような場所ではないので、知らなければここへ来ることはないであろう。マルクト広場から有名なベッチャー通りを抜けて来るのが判りやすい。ヴェーザー川沿いにバルゲ橋通りBalgebrueckenstrasseへ向かう。通りを渡ると赤レンガの聖ヨハネ教会が左手に見えるので、そこがシュノーアへの入り口だ。細い路地が迷路の様に続き、赤いとんがり屋根の小さな家がひしめきあっている。
細い路地の奥に、何かがありそうなシュノーア
港町ブレーメンらしく、中世ではここに船乗りたちが住んでいた。今でもヴェーザー川は直ぐ近くを流れている。中心となる通りの真ん中が少しへこんでいるのは、かつてこの道が川へ続く運河だった名残である。船乗りたちは家の前から船に乗り、運河を通って川へ出た。シュノーアSchnoorとは北ドイツの方言で、ドイツ語のロープ(紐)を意味するシュヌーアSchnurのこと。船に欠かせないロープをなっていたことが地区の名前になった。第二次世界大戦でブレーメンが空爆を受けた時、シュノーアも被害を受けた。そのまま戦後は多くの家が廃墟となって放置され、シュノーアは取り壊される運命となる。そのとき、一人の建築家の熱心な働き掛けで町並み保存運動が起こり、1959年に文化財保護地区となった。
シュノーアが始まるシュターヴェンダム。左手はミニチュア船の店
ただでさえ細いシュノーアの中心路地には、右へ左へとさらに狭い路地が巡り、そこを入って行くと思わぬ空間に出会う。多くは間口が狭くて上に延びる家。屋根裏部屋を持つ2階建、3階建ての小さな家屋だ。それらのほとんどが今日ではショップ、工房、カフェなどになっている。1組だけしか泊れないという小さなホテルもある。1960年代にシュノーアが修復されると、ここに芸術家たちが移り住んできた。画家や彫金家が多く、彼らは小さなアトリエで作品を造りながらそこで販売している。ミニチュア船を扱っている店が多い。窓辺に並んだ帆船に港町の風情を感じる。
Tシャツには様々な絵柄がある
観光客相手のショップで売られているのは『ブレーメンの音楽隊』グッズ。置物では4匹の動物たちが順に背中に乗ったものが圧倒的に多い。Tシャツで人気なのは、黒地に4匹の動物たちの目玉だけが描かれたもの。追い出された盗賊は夜中に様子を見に家に帰って来る。そこで光る眼玉を暖炉の火と間違えて近づいたためネコに引っ掻かれ、犬に噛みつかれ、と散々な目に遭う場面だ。4匹が順に乗ったものは彫金工房で銀のペンダントヘッドにもなっている。昼間は多くの観光客で賑わうシュノーア。ブレーメンの隠れたメインストリートである。
データ
交通:
ブレーメンBremenまでハンブルクHamburgから急行で55分
シュノーアへはマルクト広場MarktplatzよりマルクトシュトラーセMarktstrasseを南へ歩き、続きであるデヒャナートシュトラーセDechanatstrasseへ。途中から右折してコルピングシュトラーセKolpingstrasseを突き抜けて真っすぐ進むとシュターヴェンダムStavendammに出る。あるいは、ベッチャー通りからマルティニシュトラーセMartinistrasseをヴェーザー川沿いに南下してバルゲブリュッケンシュトラーセBalgebrueckenstrasseを渡り、左へ。レンガ造りの聖ヨハネ教会St.Johanes Kirche脇を右折するとシュターヴェンダムに出る。
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