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海外現地発ガイド通信

名誉の牢獄暮らし ハイデルベルク大学の学生牢


掲載日:2008/08/25 テーマ:美術館・博物館 行き先: ドイツ / ハイデルベルク

タグ: 博物館 歴史


ドイツ最古の大学はここに

学生酒場の壁には決闘の様子を描いた絵も飾られている 学生酒場の壁には決闘の様子を描いた絵も飾られている

学生が大学によって裁かれる?!そんな時代がドイツではあった。ドイツで一番古い大学は、1386年創立のハイデルベルク大学である。その当時、ドイツは神聖ローマ帝国と呼ばれており、現在のオーストリアやチェコなども含む広大な領土だった。その帝国で最初に創立された大学はプラハのカレル大学(1348年)で、次にウィーン大学(1365年)が、そして3番目にハイデルベルク大学が誕生した。その後神聖ローマ帝国は解体し、プラハとウィーンは別の国になったため、ハイデルベルク大学がドイツ最古の大学となった。

アルト・ハイデルベルクの舞台にもなった大学

階段にまでびっしりと落書きが 階段にまでびっしりと落書きが

ハイデルベルク大学が舞台となった小説は、マイアー・フェルスターなる作家の戯曲『アルト・ハイデルベルク』である。架空の国の皇太子がハイデルベルク大学へ学びにやってきて、学生酒場で働く娘と恋に落ちる。単純な話の中に、当時の学生たちの習慣や生活ぶりがよく描かれているそうだ。この作品は日本の旧制高校で盛んに読まれたらしいが、余りに古すぎてどこの書店を探しても置かれていない。今では“昔、旧制高校の学生たちに流行った読み物”という事実だけが語り継がれている。

名誉のための決闘 裁かれた学生は投獄

所属する学生団の色(ストライプ)や帽子が描かれている。ストーブまであって、冬は温かかった 所属する学生団の色(ストライプ)や帽子が描かれている。ストーブまであって、冬は温かかった

中世では学生たちはよく決闘をした。名誉のためだ、名誉を傷つけられた、と何かにつけて決闘をした。それによって負った傷は“名誉の傷”とされた。こうした騒ぎを取り締まったのも大学で、昔の大学は学生に対する裁判権も持っていた。大学で裁かれた学生は禁固刑となって投獄された。どこの大学にも学生牢なるものがあり、ハイデルベルク大学にも立派な学生牢があった。学生たちは投獄されることを誇りと思っており、ここに入ることは、ひとつの勲章だった。ドイツに残る学生牢の中で、最も有名なのがハイデルベルクの学生牢である。今日では博物館として公開され、観光名所になっている。町の中心部に造られたこの学生牢は1712年から1914年まで使われていたそうで、意外と近年まで使われていたことにちょっと驚く。

意外に楽しい?投獄生活

学生牢の窓からはハイデルベルク 学生牢の窓からはハイデルベルク

学生牢とは一体どんな所か、とワクワクしながら行ってみると、大きな窓もあって中は結構明るい。想像していた陰鬱な雰囲気は全くなく、入所者が書いた落書きや壁画がどの部屋にもいっぱいでむしろ楽しそう。学生たちは蝋燭の煤などを使って壁に落書きをし、自分の名前と監禁期間を記した。今では重要な文化財だ。ここに投獄された学生は、殺しなど警察沙汰の事件を起こしたわけではない。ちょっとした喧嘩や泥酔、夜中に騒いだなど、状況によって最低2日から最高4週間まで監禁された。もっとも外からの差し入れもあり、囚人学生間の行き来も許されていたので、投獄生活を結構楽しんでいたようだ。古き良き時代を偲ばせる学生牢、是非覗いてみよう。

【関連情報】

■ Der Studentenkarzer 学生牢
住所:Augustinergasse 2.
電話:(+49)6221 54 35 54
オープン時間:10:00〜16:00(ただし、4月から10月は月曜から土曜まで、11月から3月は火曜から金曜まで)
ハイデルベルクへはフランクフルトから急行で1時間弱、普通で1時間半弱
入場料:3ユーロ

 

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2008/08/25)
※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
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