- Kei Okishima
- ライター。早稲田大学第一文学部卒業。ドイツには高校時代に国際ロータリークラブ青少年交換留学でバイエルン州に一年間、大学時代に交換留学でベルリン自由大学、フンボルト大学に一年間留学する。その後ドルトムント大学にてジャーナリズム学科を専攻。現在はフリーライターとしてヨーロッパを中心に活躍中。
出発エリアをに変更しました。
オデオン広場に聳える将軍堂。暑い夏にはこの日陰で一休みする人も
レジデンツ通りと、それに平行して走るテアティーナ通りが一つになるオデオン広場は、ミュンヘンっ子たちが好む場所。東側にレジデンツ(宮殿)が、西側にテアティーナ教会があり、二つの道がぶつかる所には回廊風の将軍堂がある。バイエルン王国時代の面影を残す歴史的建物に囲まれたオデオン広場は、観光客にも人気がある。政治的事件も起こった。1923年11月9日、ヒットラー率いる彼の支持者たちと警官隊がオデオン広場でもみ合いになり、死傷者を出した。市内観光のガイドさんは必ずそのことに触れる。痛ましい過去を忘れずに生きる、ミュンヘン市民の姿勢を感じる。そんなオデオン広場は今年、ミュンヘンが建設されてから850年を祝う祭の会場の一つとなる。
ミュンヘンの英雄ティリー将軍の像
1844年に建てられた将軍堂はオデオン広場のシンボル。ここには二人の将軍が奉られている。右側に立つのはカール・ヴレデという人物で、一般には知られていないが1814年にフランス軍と果敢に戦ったことでバイエルンでは英雄らしい。左側は30年戦争で活躍したティリー将軍だ。皇帝軍を率いたティリーは、30年戦争となるとあちこちに登場してくる。ロマンティック街道の町ローテンブルクでは、仕掛け時計となって現れる。ワインの大ジョッキを飲み干す老市長を、左の窓で見守っているのがティリーだ。プラハでは、30年戦争であっけなくプラハ軍を大敗させたのがティリー将軍。“憎き敵将軍”と思う人もいるだろうが、ミュンヘンでは英雄である。
その町の言い伝えを聞くのは、旅をしてる中でも楽しい瞬間。キラキラ光ったライオンに手を当ててみよう
テアティーナ教会は17世紀後半に建てられたカトリック教会である。外観の濃い黄色に対して内部は壁も柱も白一色。意外な美しさに驚き、大きな堂内に圧倒される。主祭壇には1675年に制作された「聖母戴冠」画が掲げられている。レジデンツ通りには4頭のライオンが座っている。ライオンが支えている楯の下に小さなライオンの顔があり、そこだけ金色に光っている。これは通行人がライオンの顔を撫でて行くためで、誰が言い出したのか、ライオンの顔を撫でると良いことがあるとか、願いが叶うとか言われている。本当はライオン像の顔を撫でたいのだが高すぎて届かない。そのため下のライオンの顔4つが全部光ってしまった。
聖母戴冠の絵が掲げられているテアティーナ教会
「ミュンヘン850歳」祭りが開かれる6月14日、15日の二日間、ここは手工業職人村に様変わりする。赤い三角屋根を付けた可愛らしい小屋がいくつも並び、職人たちが仕事ぶりを披露する。出来上がった作品はその場で購入できる。参加するのはブリキ職人、家具職人、革職人、毛皮職人、製本工、吹きガラス工、金属工、石工、寄木細工師、金銀細工師、などなど。ドイツが誇る見事な職人芸をじっくり鑑賞するために、ぜひこの機会にミュンヘンへ旅立とう。
ミュンヘン市内からオデオン広場へ:
マリーエンプラッツMarienplatz から地下鉄U3、U6で1つ目のオデーオンスプラッツOdeonsplatz 下車
カールスプラッツ(シュタフス)Karlsplatz(Stachus)から地下鉄U4,U5で1つ目のオデーオンスプラッツOdeonsplatz 下車
※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2008/05/26)
※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
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