トルコからギリシアへ船で行く旅

トルコとギリシアの間にあるのがエーゲ海です。トルコとギリシアの双方を訪れるなら、このエーゲ海を渡ってみたいものですね。トルコのエーゲ海岸の諸都市から、ギリシアの島へとフェリーが出ています。中でも南部マルマリスやフェトヒエ(フェティエ)からロードス島へ渡るコースは、グッと心に迫るものがあります(ロードス島からはサントリーニ島へのフェリーがあります)。というのも、エーゲ海文明が地中海全体に広がって、その交易の結果、西ヨーロッパの繁栄につながるのですが、15世紀、オスマン・トルコ帝国が地中海の覇権を握ろうと、乗り出してきたのです。その先兵として戦ったのがロードス島に陣取った聖ヨハネ騎士団だったのです。塩野七生著『ロードス島攻防記』を手に、ぜひ、東側のトルコからこの島に渡ってみてください。それはまさしくオスマン・トルコ軍進撃のルート、聖ヨハネ騎士団敗走のルートと重なるのです。

トルコからロードス島経由でギリシアへ。聖ヨハネ騎士団による攻防戦の舞台となった島 トルコからロードス島経由でギリシアへ。聖ヨハネ騎士団による攻防戦の舞台となった島

聖ヨハネ騎士団とは?

聖ヨハネ騎士団が生まれたのは、11世紀、現イスラエルのエルサレムです。商人や、聖地巡礼に来ているキリスト教徒たちのために病院を建て、そこで病気になった人の治療に当たったのが、修道士たちです。十字軍とイスラム勢力との戦いでも、負傷者の治療で貢献し、ローマ法王の認可を受けて、1113年、聖ヨハネ病院騎士修道士会が設立されたのでした。騎士であり、修道士でもある彼らは、病院の運営と看護にあたります。しかも時には、イスラム勢力との戦闘まで行っていました。騎士団はエリートで構成されており4代遡って貴族でなければなれません。そうでなければ、歩兵や水夫になったそうです。イスラム勢力の真っ只中で活動する騎士団は、キリスト教徒の前衛として、ギリギリの攻防を繰り返していました。ところが1291年にエルサレムを追い落とされると、キプロスを経て、1306年にはロードス島に移ってきたのです。

ロードス島の見所は?

1522年のこと、オスマン・トルコ軍が10万の大群で攻め入ってきます。迎え撃つ騎士団側は総勢650人。壮絶な戦いで生き残ったのはわずかに180人。苦汁の開城を受け入れ、聖ヨハネ騎士団は、クレタ島を経て、マルタ島に居を移したのです。同時期、ポルトガルでは大西洋への進出が始まり、ヨーロッパ世界は大航海時代へと、新しい時代の幕を開けようとしていました。ロードス島での戦いは、地中海から外海へと興味が移る時代の転換期だったのです。港には聖ニコラウスの砦と雌鹿のブロンズ像が迎えてくれます。難攻不落のこの要塞も、多勢に無勢でオスマン・トルコ軍には敗れてしまったのの、その防衛力の高さは、中世ヨーロッパでは最大級と称され、オスマン・トルコも征服後、破壊することなく利用したのです。おかげで現在でも中世のままの、水も漏らさぬと言われるほどの堅固な建築を目の当たりにできるのです。何より全長4キロの城壁が見所です。