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海外現地発ガイド通信

ここを見ればハンガリーが分かる!英雄広場で歴史を振り返る


掲載日:2009/02/09 テーマ:歴史 行き先: ハンガリー / ブダペスト

タグ: すごい! 公園 歴史


ハンガリーの歴史を語る、英雄広場

アンドラーシ通りの突き当りにある英雄広場 アンドラーシ通りの突き当りにある英雄広場

ペスト地区の中心部、デアーク・フェレンツ通りから北東にまっすぐ延びるアンドラーシ通り。全長2.3キロメートルの大通りは英雄広場で終わる。広々とした広場の中央には高いポールが立ち、その両側に羽根を広げるように半円を描いて大列柱が並んでいる。ここは1896年、ハンガリー建国1000年を記念して建設された広場だ。大列柱の左半分には初代国王イシュトヴァーンやブダ城を建設したべーラ四世、アカデミックなマーチャーシュ王などハンガリーの国王たちが、右半分にはラーコーツィ・フェッレンツやコシュート・ラヨシュなどハンガリーの政治家や将軍たちが立ち並んでいる。いずれもハンガリーの歴史を語るに欠かせない人物だ。

優れた騎馬民族だったマジャル族

実物の2倍はありそうな大きなアルパードの銅像 実物の2倍はありそうな大きなアルパードの銅像

中央ポールの足元を7人の大きな騎馬像が取り囲んでいる。真正面に据えられた騎馬像はアルパード。マジャル民族の部族長の一人である。マジャル民族はその昔、ウラル山脈の麓に住んでいた。そこから西へ移動しはじめ、現在のハンガリーに辿り着くのだが、896年に他の6人の部族長たちをとりまとめてマジャル族をカルパチア盆地まで導いたのがアルパードだった。彼の曾孫が初代ハンガリー国王となったイシュトヴァーンである。マジャル族は優れた騎馬民族だったため、巧みな馬術で度々イタリアやドイツを襲って西ヨーロッパ諸国を荒し回っていた。955年にドイツのオットー大帝と戦って大打撃を受けて以来、カルパチア盆地に定住し始める。

ハンガリーがキリスト教に改宗した理由

黄金の王冠と二重十字架を掲げる大天使 黄金の王冠と二重十字架を掲げる大天使

36メートルのポールの上に立っているのは大天使ガブリエル。言い伝えによると、西暦1000年のクリスマスの日にガブリエルがローマ法王ジルベステル二世の前に現れ、あることを告げた。それはハンガリー王のイシュトヴァーンをキリスト教国の王として認めるようにとの内容だった。ローマ法王はお告げを受け入れ、ここにキリスト教国としてのハンガリー王国が誕生する。ガブリエルは右手にハンガリーの王冠を、左手に二重の十字架を掲げている。二重十字架は、イシュトヴァーンがハンガリー国王として政治を司ること、同時にキリスト教布教の聖職者の役割も果たすことを意味している。イシュトヴァーンは、略奪を繰り返すようではマジャル民族に未来はない、と確信してキリスト教に改宗した。

優雅で美しい市民公園も必見

市民公園の中にあるバイダフニャド城は内部が博物館になっている 市民公園の中にあるバイダフニャド城は内部が博物館になっている

英雄広場の背後には市民公園が広がっている。1896年に開かれた博覧会会場として建設された跡地で、大きな池や城がある市民の憩いの場。この城は、かつてハンガリー領だったルーマニアのバイダフニャド城をモデルにしている。城を建てたのはハンガリーの英雄のひとりであるフニャディ・ヤーノシュ侯。彼は15世紀にヨーロッパへ攻め込んでくるオスマントルコの大軍をベオグラードで打ち破り、ヨーロッパのイスラム化を阻止した。英雄広場はハンガリーの歴史を知るために欠かせない場所であり、市内観光の重要なスポットになっている。

【関連情報】

■ Hosok tere 英雄広場
M1号線ヘーシェク・テレ下車

 

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2009/02/09)
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※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
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