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海外現地発ガイド通信

世界を変えた8月19日「ベルリンの壁崩壊」はハンガリー北西部草原のピクニックから始まった


掲載日:2009/08/31 テーマ:歴史 行き先: ハンガリー / ショプロン

タグ: 記念日 史跡 歴史


歴史を変えた大ピクニック計画

ここがオーストリアとハンガリーの国境。 ここがオーストリアとハンガリーの国境。

ヨーロピアン・ピクニック。 この言葉だけでは一体なんのことなのか判らない。これは1989年8月19日にハンガリー北西部フェルテーラーコシュの野原で、ヨーロッパ人たちが集まって将来のヨーロッパを語り合った集会の名前である。何故そんな辺鄙な場所で、と思うであろう。実はこのピクニック集会が世界史を大きく塗り替える大イベントとなったのである。場所はハンガリー北西部の都市ショプロンの近く。ショプロンはハンガリー領がオーストリア領内に突き出た場所にあり、つまり周りをオーストリアに囲まれている所である。そこからオーストリアに抜ける国道があり、国境には検問所が設けられていた。

東側でいち早く経済改革に乗り出したハンガリー

ヨーロピアン・ピクニックが開かれた草原。ここで歴史が動いた。 ヨーロピアン・ピクニックが開かれた草原。ここで歴史が動いた。

当時はまだ東西冷戦時代だった。ハンガリーは東側諸国の中で早い段階から経済改革に取り組んでおり、政治も88年には急進改革派が政局に入っていた。89年になると国外旅行が自由になり、5月にはオーストリア国境に張られていた鉄条網が撤去される。東ドイツの人々はハンガリー経由で西側諸国へ脱出しようと、そのチャンスを狙って続々とハンガリーに集まってきた。民主フォーラムの代表たちは彼らをオーストリアへ出国させるため、8月19日に国境検問所前の原っぱで集会を開く計画を練る。事前の宣伝により、当日は千人近い東ドイツ人たちがここに集まってきた。政治改革派たちもこれに協力し、集会が開かれる数時間、検問所を開放するようにとの命令を出す。

ベルリンの壁崩壊を促した国境の開放

今では鉄条網が取り払われた跡地がサイクリングロードになっている 今では鉄条網が取り払われた跡地がサイクリングロードになっている

ピクニックとは名ばかりで、集まった東ドイツの人々は民主フォーラムのメンバーに見守れて開かれた検問所から脱出していった。改革政府がこれを支援したことでハンガリーは社会主義との決別を表明し、9月11日にはハンガリーの全ての国境を開放した。これが11月の「ベルリンの壁崩壊」を促したのである。フェルテーラーコシュでは撤去された鉄条網の跡地がサイクリングロードになっている。検問所のあった所には国境開放に力を注いだハンガリーの民主フォーラムに対する感謝のプレートが木株に打ち付けられている。ちなみにフェルテーラーコシュの検問所は東西冷戦時代、一度も開けられたことがなかった。

ヨーロピアン・ピクニックから20年

ハンガリーの民主フォーラムに対する感謝のプレートが木株に。 ハンガリーの民主フォーラムに対する感謝のプレートが木株に。

現在、この記念すべき場所は「汎ヨーロピアン・ピクニック公園」となって簡単な記念塔などが立っている。辺鄙な場所にあるため、外国人観光客が訪れることは少ない。しかし、これほど重大な出来事が起こった場所なのだから、一度はこの公園に行ってみたい。今年はヨーロピアン・ピクニックの年から丁度20年目となる。華々しい記念行事はないが、ここは平和のシンボルである。一人で静かに冷戦時代を終わらせた場所に立ち、平和の空気を思い切り吸ってみようではないか。そして記念塔で平和の鐘を鳴らしてみよう。

■汎ヨーロピアンピクニック公園  Paneuropean Picnic Park
ショプロンのバスターミナルから、Sopronkohida Pesti Barnabas utca(17分)バス停下車、4km徒歩約50分、
このバスは平日14本、土日10本出ている。
※ショプロンまでは、ブダペストの東駅からIC(インター・シティー)で2時間半 

 

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2009/08/31)
※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
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