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海外現地発ガイド通信

ベルリンの壁崩壊から30年、それはこの場所から始まった


掲載日:2019/10/24 テーマ:歴史 行き先: ハンガリー / ショプロン

タグ: ためになる 記念日 歴史


一早く市場経済を目指したハンガリー

ヨーロッパ・ピクニックが開かれた場所。中央に立つのは開催を記したポール、左手は休憩所、右手には記念像が見える。 ヨーロッパ・ピクニックが開かれた場所。中央に立つのは開催を記したポール、左手は休憩所、右手には記念像が見える。

1989年11月9日、突如としてベルリンの壁が崩壊し、世界中の人々を驚かせた。これは突然起こった出来事ではあるが、必然的にそうなった出来事でもある。ヨーロッパが西側と東側に分かれたのは第二次世界大戦後だが、ベルリンの壁が構築されたのは1961年のこと。その後、社会主義国の東ヨーロッパと自由主義国の西ヨーロッパとの間に鉄条網が張り巡らされた。これは“鉄のカーテン”と呼ばれて西側と東側を完全に遮断するものだった。ところがハンガリーでは比較的早くから自由主義経済を意識し始め、冷戦時代の1970年代から人の行き来が緩やかに行われていた。1980年代になると国民の間で民主化の動きが活発になり、政府もそれを黙認していた。1989年になると、当時のネーメト首相がオーストリアとの国境にある鉄条網を撤去。これを知った東ドイツ国民は、ハンガリーへ行けばオーストリアに脱出できると考えるようになった。

ショプロン郊外で開かれたヨーロッパ・ピクニック

ここへ来た人がみな鳴らしていく平和の鐘 ここへ来た人がみな鳴らしていく平和の鐘

オーストリア=ハンガリー二重帝国最後の皇帝カールの長男で、ハプスブルク家の当主であるオットー・フォン・ハプルブルクは欧州議会議員や国際汎ヨーロッパ連合会長を務めた政治家でもある。彼の働きかけで、東ドイツ国民をオーストリアに逃がすためのイベントが企画された。ハンガリー政府の密かな後押しがあった。1989年8月19日、「汎ヨーロッパ・ピクニック」という名前のピクニックがショプロンのオーストリア国境前で開催された。これに参加した東ドイツ国民は661人。ピクニックの最中、検問所が開いて全員がオーストリア側へ脱出した。国境警備隊には彼らに危害を加えないようにと、事前に政府からの通告があった。こうして661人全員が無事に脱出成功。この出来事の後、ハンガリーからオーストリア経由で西ドイツへ亡命する人は後を絶たず、10月になると東ドイツの大都市で相次いで大規模なデモが起る。そして11月9日、ベルリンの検問所が全て開かれたのだった。

ピクニック跡の今と昔

デブレツェンの彫刻家ミクローシ・メロッコ作、脱出時の様子を伝えるモニュメント デブレツェンの彫刻家ミクローシ・メロッコ作、脱出時の様子を伝えるモニュメント

ショプロン郊外の、ヨーロッパ・ピクニックが開かれた場所は今日、記念公園になっている。野原は整備されて桜の木が植えられ、まだ低い木だが春には花を咲かせるという。1999年に初めてここへ来た時、野原には草がぼうぼう生えており、ピクニックのことを伝える新聞がビニールに包まれて板に貼ってあった。撤去された鉄条網も置かれていた。今は全体が綺麗になって、ここで本当にピクニックをしてみたくなるほどだ。立派な掲示板がいくつか立てられ、検問所突破の瞬間や当時の新聞が、そしてその後の関連出来事の記事が展示されている。20周年記念の2009年にドイツのメルケル首相がここを訪れた際の新聞もあった。とんがり屋根の付いた休憩所と平和の鐘と称される鐘楼は、1999年当時からあった。新たに加えられたのはヨーロッパ・ピクニックがここで開かれたことを記したポールと、逃亡の様子を表した大きな群像だ。検問所を通過して安堵する若い男女の像が印象的だ。

ヨーロッパ・ピクニックによってベルリンの壁が崩壊

ここに検問所があり、東ドイツの人々はこの道を走って向うのオーストリア側に入って行った ここに検問所があり、東ドイツの人々はこの道を走って向うのオーストリア側に入って行った

1999年当時、ハンガリーはまだEUヨーロッパ連合に加盟していなかったのでオーストリアへ入るにはパスポートが必要だった。門のようなものは無かったがパスポート・コントロール用の小屋があった。その後ハンガリーは2004年にEUに加盟したため、今日では道端にはEUの看板が立っているだけだ。長い間ずっと国境地帯に張り巡らされていた鉄条網の跡地は今、心地よいサイクリングロードになっている。ここを通る人は必ず一度立ち止まり、「ああ、ここが、あの検問所跡ね」と眺めていく。ハンガリーが、勇気をもって社会主義と決別したしたことで世界が変わった。1989年8月19日、東ドイツ人たちがこの検問所を走って脱出する際、転んだ人にハンガリーの国境警備員が手を差し伸べる感動的なシーンもあった。その日から約3か月後、東ベルリンと西ベルリンの間の検問所が全て開かれた。ベルリンの壁を押し倒し、東西冷戦時代に幕を閉じたのもハンガリーの大きな決断のお陰だった。

データ

公園の数カ所に設置された、脱出の様子を伝える新聞記事 公園の数カ所に設置された、脱出の様子を伝える新聞記事

残念ながら、ここへ行くための公共交通手段はない。
ショプロンで自転車を借りるか、タクシーで往復する

タクシーの場合:
距離はショプロンから10キロほど(15分)で、そこから歩く。
徒歩区間を歩かずに開催場所へ行くには迂回するため16キロほど(30〜40分)。
ショプロンのタクシー基本料金は800HUF, ショプロン郊外では1キロ走行あたり550HUF、待ち時間料金は1分あたり70HUF。
( 1HUF は 約0.4円 )

※宿泊ホテルに相談し、タクシーでヨーロッパ・ピクニック開催場所までの往復料金を交渉してもらうのもよい。

 

※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2019/10/24)
※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
 提供情報の真実性、合法性、安全性などについては、ご自身の責任において事前に確認して利用してください。
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