大クレーターを目の前にしてみて

海辺の街エイラットから二時間ほどのドライブ。道はずっと登りで、馬力不足のレンタカーでジグザグの山道を上っていくのは疲れましたが、ミツペ・ラモンの大クレーターは苦労してやってきたことを忘れさせる景観でした。写真を見てもよくわからなかったのも当たり前。風景が、ふたつの目の中に収まりきらないのです。草食動物のように、両目が顔の脇についていたらいいのに!標高850mの大クレーターのてっぺんで、しばし放心しました。やがて、なんともたとえようのない感情が押し寄せてきました。たとえばアメリカのグランドキャニオンなら、行ったことがなくても世界中の人が“常識”として知っているのに、ここのことを知っている人、まして訪れたことのある人は、この世界にほんのわずかしかいないにちがいありません。今でこそ日本からもツアーがたくさん出ていますが、この国の歴史は平坦とはほど遠いものでした。そして現在でも、さまざまな民族問題は解決しないままです。

あなただけの“絶景”を見つけよう(後編) あなただけの“絶景”を見つけよう(後編)

押し寄せる感動の後に、深く思いを馳せるように

“グランドキャニオンのような雄大な景勝地”という、手垢まみれの惹句(じゃっく)とともに、一億年前と変わらない景色が、眼前に打ち捨てられている……。何の音もしません。自分のしゃべる声が、乾いた大気に瞬時に飲み込まれていきます。舌の上に、ビールやワインやチーズやパンなど、この国で口にしてきたさまざまな味が、不意に蘇りました。イスラエルは世界最強の農業立国であり、野菜や果物、乳製品のおいしさにはしばしば言葉が見つからないほどでした。この国の、豊かさと混沌を同時に思い、そのどちらもから完全に解き放たれた景色の前で、私はこの国を、とても愛しいものに感じました。そしてその感慨は、このあと再び砂漠をドライブしてたどり着いた永遠の聖地エルサレムに行ってみて、さらにいっそう強まったのです。ネゲヴ砂漠の絶望的な不毛の地を経たからこそ、エルサレムの美しさが目に染みたというわけです。いつかイスラエル全土に、そして世界に恒久の平和が訪れてほしい、とこの時以来真剣に願うようになりました。

“絶景”体験は人それぞれ

これが、私にとっての“絶景”の体験です。他にも旅の途上でたくさんの驚きや感動や陶酔を感じさせる景観に出会ってきましたが、純粋に風景と向き合って、その場所からその国、ひいては自分が生きるこの世界全部に思いを馳せるような気持ちになった場所はここでした。さあ、あなただけの“絶景”を、見つけてください!