イスラエル初の世界遺産とは?

イスラエルの世界遺産をご存じですか。2013年現在、イスラエルには7つの世界遺産があります。その中のひとつ「マサダ要塞」は、国内で最も早く登録された(2001年)世界文化遺産です。ここは死海西部の沿岸にある、高さ約400mの岩山。頂上がまるで本来あったはずの部分を真横に裁ち落としたかのように平らになっており、四方を断崖絶壁に囲まれた、とても特徴的な形の山なのです。“プリンのような形”と形容したくなるその岩山は、麓から見上げるだけで、迫ってくるような量感に圧倒されます。しかしここは、ただの変わった格好の山ではありません。麓からでは想像もつかないような世界が、頂上には広がっているのです。

イスラエルで初めて世界遺産に登録されたマサダ要塞(前編) イスラエルで初めて世界遺産に登録されたマサダ要塞(前編)

難攻不落だった要塞の最後

頂上部は、この自然の地形を利用した、かつての要塞の遺跡なのです(「マサダ」とはヘブライ語で「要塞」という意味です)。紀元前120年ごろに造られた要塞を、建築をきわめて好んだユダヤのヘロデ王が紀元前25年ごろ大規模に増強し、難攻不落を誇りました。それから100年あまりたった紀元後70年ごろに、現在のイスラエル一帯に攻め込んできたローマ軍に反抗して、約900人が立て篭りました。その期間は2年とも3年ともいわれています。ローマ軍は頂上まで上がれない代わりに15000人の兵士を動員して山を取り囲み“兵糧攻め”にします。山頂のユダヤ人たちは、「捕虜になるよりは」と女性と子供7人を残して全員が集団自決を選び、ユダヤ最後の要塞は陥落します。これによりローマ帝国によるイスラエル征服は完了し、以後2000年に渡り、ユダヤ人は離散の憂き目を見ることとなったのです。

ユダヤ民族の悲劇を忘れないための遺跡

このような悲惨な歴史を今に伝えるマサダ要塞は、ユダヤ人にとって特別な場所であり、1838年にドイツ人の研究者によって発見されてからは、ここを訪れるユダヤ人が後を絶ちません。私もユダヤ人見学者に交じって、この山の頂上へ行ってみました。私が行ったのは真夏の日中という最悪の条件下でした。砂漠の真ん中の死海付近は、夏は酷暑となるのです。迫力ある山の姿も、そこに秘められていた歴史も、胸にぐいぐいと迫ってくる上に、そろそろ高くなり始めた陽射しが、身の危険を感じる暑さで迫ってきます。まずは入場券を買う前に、山麓の売店でミネラルウォーターを買い込みました。(後編へつづく)