- 堂剛
- イタリア・フィレンツェ在住。2003年単独イタリア在住を決意し、中世の街オルビエートに移住。現在はフィレンツェを中心に幅広く日本とイタリアの架け橋を構築。日本人向けサイト「アーモイタリア」やイタリア人向け「ベルジャッポーネ」もその一つ。ワインと料理を愛し、イタリア全土の美味しいもの発掘がライフワーク
出発エリアをに変更しました。
教会の地下には聖キアラのお墓があり、彼女の遺体が静かに眠っています。他にも彼女の作った服や、彼女の髪、聖フランチェスコがはいていた靴なども厳重にそして静かに展示されています
1194年にアッシジの名門貴族の家に生まれたキアラ。彼女は聖フランチェスコに帰依した最初の一人とされていて、彼らの出会いと清貧の道は偶然から始まります。町の道ばたで説教をしているフランチェスコに出会い、その彼の言葉に心を動かされたのが、キアラがまだ16歳の時のことです。
しかしそれから2年後、両親は娘を裕福な家庭に嫁がせることに決めてしまいます。悲観したキアラは家を飛び出し、聖フランチェスコの元に行き信者として受け入れてもらいます。
アッシジの東端にあるヌオーヴァ門から入って最初の教会がサンタ・キアラ聖堂です。アッシジの町の特徴である白色とピンク色の石灰岩からできていて、エレガントなファザードは女性的です
キアラはフランチェスコが求める「清貧、貞節、従順」の誓いを受け入れて、彼が神の声を聞いたとされるサン・ダミアーノ教会で修道女としての生活を始めます。それは祈りと労働を日課とした、とても質素なものといわれています。
実際、サンタ・キアラ聖堂の地下には彼女が作った洋服も保管されていて彼女らの生活をかいま見ることもできます。
彼女はその後フランチェスコ会の女子修道会である「キアラ会」を創設して、多くの尼僧たちを受け入れます。かつて富豪と結婚話を進めた母オルトラーナも、後に娘キアラの修道院へ入ったそうです。
教会内にはフレスコ画や、板絵で聖女キアラの姿をみることができます。強い意志が感じられるその姿で描かれています
フランチェスコは大きな愛情をもってキアラがひらいた修道会を応援し、キアラもフランチェスコを精神的な父と仰いで生涯尊敬してきました。彼が病に伏して死を迎えるまでの間、キアラは献身的に世話をしたといいわれています。
キアラは聖フランチェスコへの忠誠で知らていて、時には「もう一人のフランチェスコ」と呼ばれるほどです。
1253年にキアラが亡くなると、すぐに彼女を奉るサンタ・キアラ聖堂の建設が始められました。アッシジの町にも多く使われる白とバラ色の石灰岩を縞模様に積み重ね、中央にバラ窓と入り口を一つずつ配しただけの非常にシンプルで美しい教会です。
教会前の広場の中央には噴水があり、教会の美しさに華を添えています。またその広場はテラス状になっていて、アッシジの町を一望できます。美しい教会と、美しい眺望はまさにアッシジの宝です。
サンタ・キアラ聖堂前の広場脇は絶景を望めるテラスになっています。夕暮れ時は西向きのファザードに夕日が差し燃えるような赤に染まります
■サンタ・キアラ聖堂
場所:旧市街の東端。ヌオーヴァ門から徒歩1分。
電話:+39 0758-12282
開館時間:
[夏期] 6:30-12:00 14:00-19:00
[冬期] 6:30-12:00 14:00-18:00
※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2008/05/19)
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