- 木場しのぶ
- ライター、コーディネーター、フォトグラファー。専ら端午の節句生まれを誉れとし、鯉幟を吊るす竹のように生きることを目指す。趣味・興味は多方面に渡るが、特に“食べて飲んで湯に浸かる”の3拍子をこよなく愛する。イタリア語通訳案内士資格を所持し、通訳としても活動。著書『蝦(エビ)で釣られたイタリア』は涙と笑いのイタリア滞在記。
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フィレンツェの「サルバトーレ・フェラガモ」本店の外観。豪壮なスピーニ・フェローニ宮殿
「フェラガモ」といえば、世界中に知れ渡る一流のイタリアン・ブランド。今でこそ、洋服からスカーフ、ネクタイ、バッグや財布といろいろな商品がありますが、創業当時は靴専門店だったことをご存知でしょうか? 正式なブランド名は「サルヴァトーレ・フェラガモ」、創業者の名前です。美しいデザイン、優れた技術、履き心地の良さで、世界中に名をとどろかせたフェラガモ。
フィレンツェのブランド街、トルナヴォーニ通りのフェラガモ本店には、博物館が設置され、彼の足跡を辿ることができます。そこに展示されるたくさんの靴やデザイン画には、彼の靴作りへの強い関心と野望、情熱が表れ、それを観るものは驚きを隠しえません!
博物館の入り口。建物に向かって左手の広場側にある
彼は、今から100年ほど前の1914年、わずか16歳にしてアメリカはハリウッドへ渡りました。ハリウッドといっても映画スターを夢見て渡米し、のちに職業転換したわけではありません。もとより靴作りの目的をもって海を渡り、あっという間にその卓越した技術で映画スターたちを次々と虜にしていったのです。
オードリー・ヘップバーンが彼の靴をこよなく愛したことは有名ですが、顧客の銀幕スターの中には、かのマリリン・モンローやグレタ・ガルボ、ソフィア・ローレンなどもいたそうです。その後1927年に彼は本国イタリアへ戻ります。南イタリア出身でしたが、帰国後はフィレンツェに居を構えました。しかしそれは偶然ではなく、この町が芸術の都でありかつ伝統工芸が栄えていたからこそこの土地を選びました。
1938年に購入したスピーニ・フェローニ宮殿は、現在も本店として堂々たる店構えです。その地階にある博物館で、1927年の帰国から1960年に亡くなるまでの彼の業績を紹介しています。
1927年といえば第一次から第二次世界大戦前の動乱の時代。日本は昭和が始まったばかり。当時の世相を想像しながら、展示される独創的なフォルムや素材を鑑賞すると、少なからずカルチャー・ショックを覚えた私でした。
ガラスや鏡に木、セロファン使い、コルクのウェッジヒール、また18金や輝く宝石を散りばめたもの、手の込んだ刺繍やビーズをあしらったものetc…。現代に生きる我々の目から見ても全く古さを感じない、というより、はるかに斬新で色彩豊かで、そしてエレガントなんです。人間の足の骨格を綿密に研究し、木製の靴型から創り上げるフェラガモ方式を確立したサルヴァトーレ・フェラガモ。そんな彼の靴作りに向けた“愛”から生まれた、芸術品といって違わない美しい靴の数々を見れば、ため息が漏れること間違いなしです。
■サルヴァトーレ・フェラガモ博物館
住所(入り口):Piazza Santa Trinita 5r, Firenze
電話:+39-055-3360456/ 3360455
URL:www.feragamo.com
入場料:5ユーロ
開館時間:10:00〜18:00
定休日:火曜日
※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2008/01/23)
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