- 堂剛
- イタリア・フィレンツェ在住。2003年単独イタリア在住を決意し、中世の街オルビエートに移住。現在はフィレンツェを中心に幅広く日本とイタリアの架け橋を構築。日本人向けサイト「アーモイタリア」やイタリア人向け「ベルジャッポーネ」もその一つ。ワインと料理を愛し、イタリア全土の美味しいもの発掘がライフワーク
出発エリアをに変更しました。
ヴィテルボのドゥオモと眺めの良い開廊。ドゥオモの正面には教皇の住居も残っています
2005年4月、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世が逝去し、ヴェネディクト16世としてラツィンガー枢機卿が選出されたことは、まだ記憶に新しいと思います。また世界で7000万部を発行したベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」の作者、ダン・ブラウンの第一作「天使と悪魔」を読んだ人も多いと思います。二つに共通するのが「コンクラーベ(教皇選出会議)」です。
細工が大変美しい、司教館から延びるコンクラーベの舞台の開廊。 上部には町のシンボルであるライオンが並んでいます
コンクラーベは現在、ローマ教皇庁(バチカン)にあるシスティーナ礼拝堂で開かれます。ミケランジェロの「最後の審判」で有名な広間ですね。その礼拝堂に世界の枢機卿たちが集まり、3分の2の得票者が現れるまで長いときは何ヶ月も投票が繰り返されます。
投票により教皇が決まらなかった場合は黒い煙、教皇が決定した場合は白い煙が煙突から出て、外部へと結果が知らされます。なぜならコンクラーベは完全な密室にて行われ外部との接触は全て禁止されています。枢機卿たちは携帯電話も電子手帳もラジオも新聞ですら持ち込みできないと言われています。
普段は鍵で閉められている門もガイドを頼むと開けてくれ、眺めの良いバルコニーに入ることができます。鍵はさすがに当時のものではないでしょうね
コンクラーベとはラテン語に由来していて「鍵のかかった」という意味です。そしてこの言葉が生まれたのが1268年のヴィテルボです。当時の教皇クレメンス4世がヴィテルボで没しました。新教皇選出の有権者は18人でしたが、意見が分かれ3年間教皇不在の期間が続きます。何ヶ月も新しい教皇が決まらないのは、枢機卿たちが自由に出歩き、外部の人びとと接触しているのが原因と考えたヴィテルボの住人は怒りを爆発させます。そして選挙会場である司教館に枢機卿たちを鍵を掛けて閉じ込めたのです。外部との接触を絶たせ、食料もパンと水だけを差し入れ、またその量も次第に減らしていきました。そしてついに1271年9月、6人の枢機卿の妥協によって、イタリア人の教皇グレゴリオ10世が選ばれました。
その歴史的な舞台になったのがヴィテルボの町で、司教館(Palazzo dei Papi)も鍵の掛けられた開廊(Loggia)も当時の姿で残っています。
コンクラーベでは次期教皇候補が落選し、予想外の枢機卿が選出されることもあるそうです。これぞ密室の不思議です。
映画の撮影も開始されたというダン・ブラウン原作の「天使と悪魔」を読んで、作中に登場するローマの各教会、キーモニュメントとなるベルニーニ作の彫刻群、バチカン宮殿、サン・ピエトロ広場、オベリスク、そしてヴィテルボの美しい町を回るのも、新しい発見にあふれ面白いと思いますよ。
■ヴィテルボへのアクセス
ローマから電車もしくはバスで約1時間40分
オルヴィエートからバスで約1時間
※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2008/01/11)
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