- 山盛菜々子
- イタリア在住。外国人記者クラブ所属。日本ではブルームバーグ、スカイイタリアのアジア特派員として生放送に出演。政治家、実業家、俳優、デザイナーなど、多数の著名人と対談。2006年4月に、フリーの記者として独立。ファッション、紀行、デザインの取材に関わることが多いが、文化、政治経済、エンターテイメントなど、ジャンルを問わずに幅広く活躍中。
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木陰で一休みできるチルコ・マッシモは、都会のオアシス
チルコ・マッシモの「チルコ」はサーカス、「マッシモ」は最大を意味する。最初は、商業市場として使われていたようだが、後々戦車レースや動物の競技などを行う市民の娯楽の場としても使われた。文字通り、巨大な古代競技場である。イタリアにおいて発展した都市国家エトルリア時代(紀元前8世紀から紀元前4世紀ごろまで)を治めた王たちによって、紀元前6世紀ごろから利用されたと言われているから、なんと、ローマ時代よりさらに時代を遡る。
紀元前50年ごろ、ジュリアス・シーザーが、市民の需要に応対して、621m x118mにも及ぶ競技トラックに拡大したと伝えられている。収容人数は、25万人以上と言われている。また、81年に死亡したタイタス皇帝に敬意を払う行いとして、同年に元老院は、東側に3つのアーチを増築した。また、パラティーノの丘にある宮殿とチルコ・マッシモをつなぎ、皇帝が競技を高台から見ることができるようにしたり、5000席を追加してより多くの一般市民が皇帝のことを見ることができるような工夫がなされ、競技場は年々拡大されていった。
残念ながら、現在は当時の形跡はほとんど見ることができないのだが、緑の芝生が広がっている公園として、公開されている。2006年のイタリアワールドカップ優勝記念の際には、何千人ものイタリア人たちが集まり、帰国したヒーローたちを迎え、朝方まで優勝を祝った。また、コンサート会場やその他のイベントを行うオープンスペースとして、利用されている。
観光めぐりに疲れたら、バールでサンドイッチを買って、芝生でピクニックをしてみよう。都会のオアシスとも言える広々とした緑がうれしい、ごみごみしたローマの中でもほっとする空間である。ぐるっと一周してみると見かけより広く感じられる。そばには、カラカラ浴場やパラティーノの丘があるので、地図をみながら独自の遺跡コースをたどってみるのもいいかも。
住所:Viale del Circo Massimo
メトロB Circo Massimo駅目の前
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