- 山盛菜々子
- イタリア在住。外国人記者クラブ所属。日本ではブルームバーグ、スカイイタリアのアジア特派員として生放送に出演。政治家、実業家、俳優、デザイナーなど、多数の著名人と対談。2006年4月に、フリーの記者として独立。ファッション、紀行、デザインの取材に関わることが多いが、文化、政治経済、エンターテイメントなど、ジャンルを問わずに幅広く活躍中。
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緑に覆われたアウグストウス霊廟には、一族の遺体が納められていた
アウグストウス霊廟は、文字通り、アウグストウス広場にある、アウグストウス皇帝の墓。紀元前27年から西暦14年の間、ローマ帝国を支配した初代皇帝アウグストウスが建設した。アウグストウス帝が企画した初期のプロジェクトのうちのひとつである。円形の建物の構造は、土とレンガでできている輪とその上にかぶさっている円筒形の屋根とアウグストウスの像からできている。入り口から伸びている廊下は、中心の空間とつながっており、この空間に一族の灰が納められている墓がある。そして、入り口のアーチを飾っていた2本の記念碑(オベリスク)は、現在、エスクイリーノ広場とクイリナーレ広場にそれぞれ置かれているので、時間があれば、こちらも見に行ってみよう。もともとの大きさは、高さ42メートル、直径90メートルもあったと言われている。
一番最初に葬られたのは、アウグストウスの甥のマルチェッロ。(前回ご紹介した、マルチェッロ劇場のマルチェッロである。)そして、アウグストウスはもちろん、皇妃のリヴィアや2代目の皇帝など、一族が眠る巨大な墓である。その後、ローマ帝国は、ゴート族によって侵略され、410年に攻め落とされる。ゴート族は、納体堂を銃撃し、墓の灰を散らしたが、奇跡的にも建物の構造にダメージはなかった。中世の時代には、要塞としても使われたが、次第に遺跡となってしまった。そして、1936年代まで、手をつけられずにほおっておかれたのである。
ローマ帝国を代表する遺跡であるアウグストウス霊廟の発掘作業は、1936年に始まる。当時、ファシズム指導者であり、イタリアの首相であったムッソリーニは、偉大なるローマ帝国の皇帝であったアウグストウスを崇拝していた。ムッソリーニは、ローマ帝国時代の栄光をファシズム(極右的国家主義)と関連づけ、ローマの街を再開発する意気込みだった。悪い印象ばかりが残っている独裁者のムッソリーニだが、彼が支持した発掘作業のおかげで、今私たちは、アウグストウス霊廟を見ることができるのだ!
人通りが多く、バスや車がひっきりになしに通るコルソ通りの裏にあるこの遺跡は、都会の騒がしさから逃げるにはちょうど良い。緑の糸杉がさらに雰囲気をだしており、一息つくには最高のスポットである。この遺跡を眺めながらのランチがお勧めだが、これは次回のお楽しみ!
住所:Piazza Augusto Imperatore,Rome 00186 Italy
Tel: +39-06-48 8991
※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2007/11/27)
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