- 山盛菜々子
- イタリア在住。外国人記者クラブ所属。日本ではブルームバーグ、スカイイタリアのアジア特派員として生放送に出演。政治家、実業家、俳優、デザイナーなど、多数の著名人と対談。2006年4月に、フリーの記者として独立。ファッション、紀行、デザインの取材に関わることが多いが、文化、政治経済、エンターテイメントなど、ジャンルを問わずに幅広く活躍中。
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太陽のひかりが差し込むアラ・パチス
アラ・パシスは、ローマの旧市街中心にある平和の祭壇。イタリア語で、「アラ」は祭壇、「パシス」は平和という意味だ。皇帝アウグストゥスが、ガッリーア(現在の北イタリア、フランス、ベルギー、スイス西部、オランダ一部、ドイツの一部を含む地域)とヒスパニア(現在のスペイン、ポルトガル、アンゴラ、ジブラルタール、フランス南部を含む地域)を征服し、ローマに帰国したことを讃えて、元老院が建設を委託し、紀元前9世紀に完成。アウグストゥスの勝利によって、ローマ帝国がいつまでも平和で繁栄するようにという願いが込められている。
祭壇は、きらきらに光る白い大理石でできた囲いの中にあり、大理石には、ローマ帝国の忠信性を表す絵が彫られている。例えば、月桂樹の冠は、勝利のシンボルを表す。また、神々にささげられた犠牲の行いなども描かれており、市民の宗教がその時代、いかに大切にされていたかがわかる。また、ギリシャの彫刻は、象徴的に理想化されているのが特徴だが、ローマ神話では、個々の人間の肖像は、はっきりと人間の形をしていることが多い。この特徴は、アウグストゥスの彫刻に表現されている。現在でも残っているアウグストゥスの彫刻のうちでも、この彫刻は傑作と言われている。
このアラ・パチスは、もともとは、ローマ市の北の郊外にあった。そして、テヴェレ川の洪水によって地下に埋め込まれてしまったのが、ルネッサンス時代に再発見された。その後、ルネッスサンス時代のパトロンであったメディチ家のヴィラ、ヴァチカン、フィレンツェのウフィッツィ美術館、ルーブルなどの各地を巡り、ついにローマに戻ってきた。1938年には、国を独裁したムッソリーニが祭壇を保護する建物を建てた。ムッソリーニは、ファシズム体制の例として、旧ローマ帝国をモデルにローマの再建設を行った。その企画の一部となったのが、アラ・パチスが納められた建物である。そして、現在は、アメリカ人の建築家リチャード・メイヤーが設計したガラス張りの建物の中に納められている。メイヤーのデザインによるガラス張りの建物は、旧市街の雰囲気に合わないと、世界中の批評家から酷評を受けた。確かに,超モダン建築とローマ帝国の遺跡の組み合わせはアンバランスなのだが、もう建ててしまったのだからしょうがない?!
■ Ara Pacis(アラ・パチス)
住所: Lungotevere in Augusta, 00100 Roma
TEL: +39-06-82059127
Email:info@arapacis.it
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