- 山盛菜々子
- イタリア在住。外国人記者クラブ所属。日本ではブルームバーグ、スカイイタリアのアジア特派員として生放送に出演。政治家、実業家、俳優、デザイナーなど、多数の著名人と対談。2006年4月に、フリーの記者として独立。ファッション、紀行、デザインの取材に関わることが多いが、文化、政治経済、エンターテイメントなど、ジャンルを問わずに幅広く活躍中。
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サン・ピエトロより歴史の深いカテドラル
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂という長々しい名前の教会は、ローマにある四大バジリカのうちの一つ。バジリカと呼ばれる聖堂は、ローマ教皇から特権を与えられた聖堂のことで、すべての教会がバジリカではない。それだけでなく、このサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂は、ローマの教会の中でも、最上位にあり、「救世主大聖堂」と呼ばれる特別な場所なのである。というのは、ここは、母教会(本山)であり、カトリック司教と教皇の正式な聖座がおかれているからである。そして1000年にもわたり、ローマ教皇庁(教皇の正式な公館)が置かれていた、バチカンより高位なカテドラルである。
ローマ帝国時代には、この大聖堂があった場所には、ラテラーニ家の宮殿があった。ラテラーニ家は、ローマ帝国を治めた皇帝たちの事務を務めた由緒ある一家である。一族の中には、執政官という高位なポジションについたものもいた。しかし、ネロ帝の時代に、皇帝に対する反乱の容疑をかけられ、一家は、自宅にしていた宮殿とその他の財産を没収されてしまった。そして、その後、コンスタンティヌス帝が邸宅として利用したと言われている。その後、キリスト教が公認され、コンスタンティヌス帝が邸宅を教会に寄進し、カトリック教会の建物として使われるようになった。
16世紀に入り、地震や火災の被害をうけて痛んだ大聖堂の修復事業が開始される。そして、1620年には、日本人キリスト教徒であるぺトロ・カスイ・岐部このラテラノ大聖堂で司祭として叙階を受けた。ぺトロ・カスイ・岐部は、日本人として初めてエルサレムを訪問し、ローマへたどり着いた、「日本のマルコポーロ」と呼ばれたキリシタンであり、遠藤周作氏の小説「王国への道」にも登場する。1800年代までは、教皇の戴冠式もここで行なわれていた。そんなエピソードもあるサン・ジョヴァンニ・ラテラーノ大聖堂。1980年には、建物が世界遺産として登録され、ますますその威容を誇っている。
バジリカ式の建物、バロック風の内装、12使徒の像、床のモザイクなど、一歩踏み入れると首が痛くなるような装飾の多さである。豪華な内装にしては、聖年にだけ開かれるポルタ・サンタ(聖なる扉)と回廊のある中庭は、以外とシンプルである。ローマはあまりにも観光スポットが多すぎて、まよってしまうが、必見のバジリカ。コロッセオからも近いので、天気がよければ散歩がてらてくてく歩いていこう。
■サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂
住所:Via di San Giovanni in Laterano, 800184 Roma RM
交通:地下鉄サン・ジョヴァンニ駅下車
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