- 木場しのぶ
- ライター、コーディネーター、フォトグラファー。専ら端午の節句生まれを誉れとし、鯉幟を吊るす竹のように生きることを目指す。趣味・興味は多方面に渡るが、特に“食べて飲んで湯に浸かる”の3拍子をこよなく愛する。イタリア語通訳案内士資格を所持し、通訳としても活動。著書『蝦(エビ)で釣られたイタリア』は涙と笑いのイタリア滞在記。
出発エリアをに変更しました。
サンタンジェロ橋から見たサンタンジェロ城
大天使ミカエル(ミケーレ)の像を頂に配する『カステル・サンタンジェロ』は、首都ローマを縦断するエレガントなテーヴェレ川のほとりにある城。こう書くと、豪奢な或いはメルヘンチックなお城をイメージしてしまいますよね。でも実は正反対。威風堂々としたいかにも堅牢そうな建物なんです。“城”とういと一般的な、かつての君主の居城とかいうわけではなくて、もともと霊廟として建てられたもので、竣工は139年。え?千が抜けてる? いいえ、間違いなく今から1900年も前のものなんですよ! ローマってほんとにスゴイ! 街中に平然とこういうものが存在するんですからね。
教皇庁へ続く800mの通路
と、それはさておき、ローマ14代皇帝ハドリアヌスの廟として建てられたこの建造物は、長い年月の間には要塞として、牢獄として、またローマ教皇庁・バチカンからほど近いこともあり有事の際の教皇の避難所としても利用されてきました。現在はそのいずれの歴史の跡も色濃く残しながら博物館として公開されています。弾丸を跳ね返す頑丈な石壁に護られた外廊。屋内には囚人を収容した牢獄があるかと思えば、煌びやかな大広間あり、教皇避難時の小部屋の並ぶ居住スペースあり・・・と、とても興味深い、そして迷宮のごとき建物なんです。内部には兵器などの若干の展示室はありますが、なによりも今なお圧倒的な存在感を見せるこの大建築こそが大展示物なのです。
城から見下ろすサンタンジェロ橋
ではなぜこの建物のてっぺんに天使像が? 言い伝えによれば、その理由は“ある奇跡”の為でした。6世紀、590年に遡ります。当時ヨーロッパに蔓延していたペスト(黒死病)はローマにも大惨事をもたらしました。時の教皇グレゴリウス1世はこの伝染病を鎮めるための祈りの行進をします。行列はこのハドリアヌス帝の霊廟の川向いに着き、橋を渡ります。その時です。天使たちが参列者の頭上に舞い降り、聖マリア像を取り囲んだのです。そして視線を上げた教皇の眼に映ったのは、霊廟の頂で大天使ミカエルが自身の剣に付いた血をふき取り鞘に納める姿だった、ということです。ローマのペストはこうして終息したのでした。
大天使ミカエル像
橋は『サンタンジェロ橋』と名を変えました。和訳すると『聖天使橋』です。左右に5体ずつバロック期に作られたとても美しい天使像が置かれていて、天使たちに見守られながら橋を渡れるんですよ。霊廟も後に、カステル(城)・サンタンジェロ、つまり『聖天使城』となり、天辺には大天使ミカエルの像が配されました。木造に始まり現在の銅像は18世紀半ばに作られた6代目。大天使ミカエルも城の頂から絶えず見守ってくれているのです。
城内の煌びやかなホール
Castel Sant'Angelo(カステル・サンタンジェロ/聖天使城)
■住所:Lungotevere Castello 50, Roma
■予約電話:+39-06-32810(月〜金 9-18/土 9-13)
■URL:https://www.castelsantangelo.com/
■営業時間:月〜水 9:00-19:30/木〜日 9:00-24:00
(チケット売り場は閉館の1時間前まで)
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