21世紀まであった東西の壁

自分の知らなかったことを新たに知ることができるのは、旅の醍醐味のひとつといえるのではないでしょうか。私は、旧ユーゴスラビアのひとつだったスロベニアのノヴァ・ゴリツァから、イタリアのゴリツィアへの国境越えの時に、このふたつの国の間に国境を分断する壁、いわゆる“東西の壁”があったということを初めて知りました。ドイツのベルリンを分断していた壁が壊されたのは1989年のことでしたが、スロバキアとイタリアの間にあった壁が撤去されたのはそれから15年後の2004年。つい最近のことです。

ゴリツァが分断されていたころの国境検問所の跡 ゴリツァが分断されていたころの国境検問所の跡

分断されたゴリツァの町

ここはかつて、ユーゴスラビア連邦スロべニア共和国のゴリツァという町で、スロべニア人とイタリア人が共存して平和に暮らしていました。しかし第2次世界大戦後の1947年、パリ平和条約による国境線変更で町は分割され、スロベニアとイタリアの国境線が引かれます。栄えていた町の中心はイタリア側に属し、東に広がる湿地帯がスロベニアのものとなりました。湿地を開墾して建設された町は、“ノヴァ・ゴリツァ(=新しいゴリツァ)”と名づけられ、ゴリツィアとノヴァ・ゴリツァは鉄のカーテンで遮られてしまいます。

鉄道駅にある「分断博物館」へ

私はノヴァ・ゴリツァの町に1泊しましたが、はっきり言って見どころといえるものはあまりなく、ヨーロッパにしては味気ない新しく造られた町といった風情でした。この町一番の見どころといえるのは、鉄道駅の構内にある「分断博物館」でしょうか。駅はスロベニアの駅なのにイタリアのゴリツィア側を向いて建っていて、この駅ができた頃の状況を伺い知ることができます。博物館の中は天井から床までびっしりと物やパネルで埋められ、分断から壁の撤廃までの歴史について展示されていました。

自由に国境を越えられることの幸せ

駅前の広場には、イタリアとの国境を示すプレートが置かれていました。鉄道駅のすぐそばの大通りには、かつての国境検問所の建物が残っています。今は車も人も自由に行き来でき、私も歩いて国境を越えてイタリア側まで行ってみました。少し前まではここに壁があって、元々は一緒に暮らしていた人たちが、その壁を挟んで異なる社会体制の下に生活する…。日本人である私にはその状態を実感を持って想像することはできませんでしたが、現在が平和で、こうして自由に旅できることのありがたさをひしひしと感じたのでした。