稀代のプレイボーイはベネチア出身

イタリアのベネチアで観光ツアーに参加していると、必ず出てくるのがジャコモ・カサノヴァの名前です。稀代のプレイボーイとして後世までよく知られているカサノヴァは、ベネチア生まれの18世紀の人物です。職業はいろいろ変わったようで、ある時にはスパイだったり政治家だったり外交官だったり。いろいろな才能があった人のようですね。

元祖イケメン、カサノヴァはベネチアから高飛びをした 元祖イケメン、カサノヴァはベネチアから高飛びをした

溜息の橋で溜息をついている場合じゃない?

ところで、ベネチアのドゥカーレ宮殿と古い牢獄を結ぶ橋を、「溜息の橋」といいます。この橋には、小さな窓がついていて、ここから罪人がベネチアの風景を眺めて「もう、ここに帰ることはできない」と溜息をつくことから、そのような名前がついたのだそうです。実際、溜息の橋を渡った人で娑婆に戻った人はいなかったとのこと。ただ一人を除いては。そのただ一人というのが、ジャコモ・カサノヴァです。それも無罪放免で牢から出されたのではなく、堂々の脱獄です。しかも、脱獄後は、サンマルコ広場にあるカフェ・フローリアンで一服するという余裕っぷり。その後、パリへ高飛びをしたそうです。今も、カフェ・フローリアンは現役で営業しています。テラス席はお高いですが、店内の立ち飲みカウンターはそこまでお高くないので、ベネチアでのぞいてみてくださいね。

ヨーロッパ中を放浪したカサノヴァ

ベネチア出身のカサノヴァですが、ずっとベネチアにいわけではありません。脱獄後の高跳び先のパリをはじめ、ウィーン、プラハ、ドレスデン、ワルシャワなどを放浪しています。そして、カサノヴァは晩年、故郷ではなくてチェコはボヘミアの田舎にいたそうです。ヴァルトシュタイン伯爵の図書館司書としての職が、最後の仕事でした。今も、カサノヴァが司書をしていたドゥフツォフ城は残っており、一般に開放されていて内部を見学することができます。カサノヴァの最後の職場であった図書室もあります。ドゥフツォフは、今も交通の便があまりよくない田舎町ですが、カサノヴァの時代は、さらに何もなかったでしょう。カサノヴァはカフェ・フローリアンが恋しかったのでは、と思ってしまいます。ベネチアに帰りたかったのではないでしょうか。