“4頭の青銅の馬”、ベネチアへ

「4頭の青銅の馬の歴史」の後編です。さて、ベネチアの手引きで200隻の艦隊に2万5000人の兵を乗せてコンスタンティノープルに攻め込んだ十字軍は、市民を手当たり次第虐殺、略奪し、この町の富を海外に持ち出しました。ベネチアは町の8分の3と財宝と聖遺物を奪いましたが、その中にこの4頭の青銅の馬がありました。当時、この青銅の馬は表面を金箔で覆われて、黄金色に輝いているすばらしいものでした。そして戦利品としてベネチアに運ばれた青銅の馬は、広場を見下ろすサン・マルコ寺院のテラスを飾ることになったのです。しかし、この馬たちはその後も波乱の運命をたどります。

サン・マルコ寺院の正面テラスにある4頭の青銅の馬 サン・マルコ寺院の正面テラスにある4頭の青銅の馬

ナポレオンの登場により、青銅の馬はパリへ

1798年、ナポレオンがイタリアを征服し、ベネチア共和国は消滅します。その際、ナポレオンはこの青銅の馬たちをパリへ運びます。やがてこの青銅の馬は、ナポレオンの勝利を記念するために建てられた凱旋門のトップに飾られます。1806年から1808年にかけて建てられたこの「カルーゼルの凱旋門」は、いまもチュイルリー公園にありますが、4頭の青銅の馬は、ナポレオンの没落後、ベネチアに返還されます。そのため、現在カルーゼルの凱旋門にある4頭の馬たちは、複製なのです。

2度の大戦のたびに、疎開した“青銅の馬”

オーストリア領となったベネチアに返還され、再びサン・マルコ寺院を飾ることとになった青銅の馬。さて、20世紀になりベネチアはイタリア王国の一部になりましたが、第一次世界大戦中の1917年にこの青銅の馬たちは戦線から離れたローマに疎開させられました。また、第二次世界大戦時の1942年にも地方の修道院に隠されています。そのためサン・マルコ寺院では「この馬が移動するたび、ひとつの帝国が滅ぶ」と言われているそうです。ビザンツ帝国、ベネチア共和国、オーストリア=ハンガリー帝国…。確かに、滅びはしなくとも、この馬が持ち去られる時は、その国の衰退を示したときと言えるでしょう。

サン・マルコ寺院の正面から屋内へ

やがてこの青銅の馬たちは痛みが激しくなり、1974年から大規模な修復が行われ、寺院2階の博物館で公開されるようになりました。その代わりバルコニーには、現在は精巧なレプリカが置かれています。今度こそ、この青銅の馬たちは落ちつくのでしょうか。それではサン・マルコ寺院を訪れたら、ぜひ2階にある博物館に行き、人類の歴史を見続けたこの4頭の青銅の馬に会いに行ってください。