後世に悪評を残した十字軍

みなさんは「十字軍」と聞くと、どんな姿を想像しますか? 中世の鎧に身を包んだ騎士がイスラム教徒と戦い、聖地エルサレムを攻略するというのが典型的なイメージですよね。1096年に始まった十字軍は、全部で8回行われました。しかしその間に十字軍の性質がすっかり変わり、もはや聖地奪回とは何の関係もない、ただの略奪者と化した十字軍もありました。現代では、映画「キングダム・オブ・ヘブン」で描かれたように、“十字軍よりもイスラム教徒のほうが立派だった”と解釈が変わってきています。さて、その8回あった十字軍のなかでも、そのあまりのヒドさに悪評が高いのが第4十字軍です。何と、十字軍を提唱したローマ法王が激怒して「全員、破門!」と言ったというくらいですから(笑)。今回は、イスタンブールに残る、その第4回十字軍の痕跡などを紹介しましょう。

ベネチアのサン・マルコ広場。ベネチアの繁栄は地中海貿易によるものだった ベネチアのサン・マルコ広場。ベネチアの繁栄は地中海貿易によるものだった

ベネチアの言いなりになった十字軍

1096年の第1回十字軍から100年あまり。失策からエルサレムをムスリムのサラディンに奪われ、それを取り戻すために1189年に行われた第3回十字軍も不調に終りました。1198年、ローマ教皇イノノケンティウス3世は、そこで新たな十字軍を提唱します。フランス諸侯が中心となって、イスラム勢力の本拠地であるアイユーブ朝の都カイロを攻撃しようと。その呼びかけに集まった諸侯は、十字軍の輸送を、当時、東方貿易で栄えていたベネチアに依頼することにします。しかしベネチアは、貿易に支障を来すような遠征を援助しないと、アイユーブ朝と密約を結んでいました。そこで、ベネチアは十字軍ともアイユーブ朝とも約束を守り、なおかつ自国が儲かる道を探しました。

資金稼ぎにベネチアの傭兵に?

まず、十字軍の船賃が足りなかったため、ベネチアはアドリア海にある貿易のライバル都市ザダル(現クロアチア)の攻略を依頼します。ザダルはハンガリー王国の領土で、ベネチアには邪魔だったのです。「イスラム教徒を倒しに行くはずなのに、何で同じカトリックを攻めるの?」と、十字軍兵士は疑問に思いましたが、お金がないので言うことを聞くしかありません。彼らはザダルを占領し、破壊、略奪しますが、法王はカンカンになって「お前ら、全員破門だ!」と怒ります。しかし聖地に行ってくれないと困るので、仕方なく許したようです。(その2につづく)