- テメル華代
- オランダ在住。アムステルダムの美術アカデミーで絵画を学び、現在はイラストレーターやグラフィックデザイナーとして活動中。16年の在蘭経験を活かして、ダッチデザインやアムステルダムの隠れ家的スポットなど、オランダを満喫するためのローカルな情報をお届けします。
出発エリアをに変更しました。
1885年に完成した『ジャガイモを食べる人々』は、農夫を数年間にわたり描き続けたヌエネン時代の集大成です。ゴッホは「ジャガイモを食べる人々がその手で土を掘ったということが伝わるように」描き、大地に根ざす労働者への尊敬を表現しました。
アムステルダムのファン・ゴッホ美術館で鑑賞できる作品とともに、炎の画家ゴッホが遺した魂の言葉をご紹介します。※「」で括られたものがゴッホの言葉です。
「私は貧しい人を慰めたい」
「私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい」
16歳から勤めた画商を23歳で解雇された後、教師や伝道師として貧しい人々のために尽くしたファン・ゴッホは、つつましく働く人間の苦しみに同情し、彼らの心を慰める絵を描こうと27歳で画家になる決心をしました。生きとし生けるものへの愛を貫き、社会の常識や労働搾取の仕組み、体裁ばかりの宗教に抗うように、労働者の真情を描きました。
「あなたの直観力と想像力を抑えてはならない。模範の奴隷になるな」
「このまま行けと、私の中の私が命じるんだ」
『ジャガイモを食べる人々』の完成から数ヵ月後、ゴッホは17世紀の巨匠ルーベンスを生んだベルギーのアントウェルペンに旅立ちます。描くことへの気力が日に日に満ちてゆく一方、ついに和解することもできず急逝した父親への悔恨の念を抱きつつ、1885年11月23日、32歳にして故国オランダへ永久の別れを告げました。
画家が相互扶助をする芸術村を作ろうと、ゴッホは南仏アルルに「黄色い家」を借りゴーギャンを招きました。希望と夢にあふれたゴッホは『ひまわり』を4作続けて制作し、さらにゴーギャンの到着前に『黄色い家』や『アルルの寝室』を描きあげました。
「絵を描くことは信仰だ。そして世論に背を向ける義務を課す」
アントウェルペンからパリに移ったゴッホは、ベルナールやロートレック、ゴーギャンらと親交を持ち、印象派や浮世絵の技法を積極的に取り入れました。当初はパリで認められようと精力的に筆を揮ったものの、しだいに大都会の生活に疲れ、病気がちになります。自らの新しい絵画を理解しようとしない人々や、世間におもねる画商たち、さらには技法に頼りすぎて主題への愛情を持たない印象派への不信感が募り、1888年2月、明るい太陽を求めて南仏アルルへと移りました。
「99回倒されても、100回目に立ち上がればよい」
「何ひとつ確信は持てないけれど、星の輝きが私に夢を見させ続けるのだ」
パリでの絶望から這い上がり、ゴッホは水を得た魚のようにアルルの風景を描きました。貧困と孤独に苛まれながらも、南仏での芸術村の建設を夢見て、10月からはゴーギャンを迎えての共同生活を始めます。しかし、性格と芸術観の不一致のために2人の関係は行き詰まり、12月末には遂にゴッホの「耳切り事件」が起こりました。精神異常を起こしたゴッホは「狂人」のレッテルを貼られ、監禁室に隔離されてしまいます。
『木の根と幹』はゴッホが亡くなる直前に描いた最後の絵です。ゴッホの情熱や孤独、愛への渇望を代弁するように、木々の根は衝動のままに大地をめぐります。ファン・ゴッホ美術館でこの作品に対峙するたび、その激情がひしひしと感じられ胸が熱くなります。
「人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ」
「何があっても、私は再び立ち上がるだろう。大きな挫折の中で捨ててしまった鉛筆を拾い、私は描くことを続ける」
友情にみちた芸術村を作る夢は潰え、黄色い家を手放し、くり返し起こる発作への恐怖におびえながらも、ゴッホは描くことを諦めませんでした。正気でいられるうちに、次の発作が起こるまでの限られた時間を使って、アルル、サン=レミ、オーヴェルの情景を、うねる線と大胆な色使いで、ひたすらな情熱のままに描き続けました。
「私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う」
身体と精神をむしばむ忌まわしい病気への絶望感、正常な社会から締め出された敗北感、狂人扱いされる悲しみに打ちひしがれるゴッホにとって、描くことはもはや唯一の生命のあかしでした。極限状態で真実のみを求め、瞳を潤ませながら絵筆を動かしていたゴッホの姿を想像すると、胸が張り裂けそうになります。
弟テオに息子が誕生したことを祝い、ゴッホは新しい生命を象徴する『花咲くアーモンドの木の枝』を描きました。「狂気の天才」と語られるゴッホですが、ただ人を愛したい、そして愛されたいと、素朴な願いを持つ一人の画家だったのではないでしょうか。
「私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む」
絶えず孤独の道を歩み、その情熱と努力にもかかわらず、誰にも認められることのなかったゴッホは、1890年7月27日に自らを銃で撃ち、2日後に37歳でこの世を去りました。純粋な魂と、生涯の苦悩をもってあがないえた深遠な真実が注ぎ込まれたゴッホの作品は、強い力で私たちの心に迫ります。
2020年は新型コロナウイルス感染症の影響で、生きづらさを感じている方も多いのではないかと思います。幾多の苦境を乗り越えたゴッホの言葉は、不安を抱える現代の私たちの支えにもなってくれます。
「何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう」
「美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ」
今まで当たり前だった環境が変化して戸惑うこともありますが、どんな時も愛情をもって生き、コロナ禍後に広がる「景色の中に美しいものを見つけ」られるよう、ささやかな幸せを大切に暮らしていけたらと思います。
アルルの輝かしい太陽のもと、歓喜にあふれたゴッホは、アンズや梅、プラム、梨と、花の移ろいに合わせて果樹園を描きました。サクランボやリンゴ、桃の果樹に囲まれて育った私にとっては、春の色とかおりを思い出させてくれる愛着のあるシリーズです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。2016年より4年間、オランダのガイド記事を執筆させていただきましたが、今回が最後の記事となりました。これまで拙文を読んでくださった皆様、そしてエイビーロードチームの皆様に、心より御礼申し上げます。
新型コロナウイルス感染症が世界的に収束し、観光業に携わる方々が試練を乗り越えられますよう、そしてまた自由に旅行を楽しめるようになることを祈りつつ、筆を置かせていただきます。
※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2021/02/20)
※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
提供情報の真実性、合法性、安全性などについては、ご自身の責任において事前に確認して利用してください。
エイビーマガジンについて