- 神谷
- 東京都在住。漫然とさすらっていた学生時代の旅から、テーマのある旅へとスタイルが移りました。現在は「その国と日本とのつながり」を頭に置いて旅をしています。地を這う旅からリゾート、自然観察、文学、アート、建築を追う旅までなんでもテーマにして書きます。旅と同じくらい文章を書くのが大好き。お楽しみに!
出発エリアをに変更しました。
バジリカの美しさには胸を打たれます
前編からの続きです。ヤスナ・グラ修道院をポーランド・カトリック最大の聖地に決定づけている、「黒い聖母」。これはキリストの十二使徒の一人であるルカが描いたといわれています。それだけでも大変なエピソードなのに、このイコンはさらに不思議な伝説を持っているのです。たとえば、『イコンをポーランドの貴族が手に入れ、自分の家に持ち帰る途中、「光の丘」でイコンが突然重くなり、馬車が動かなくなってしまった。そこでこの修道院に安置されることになった』。また、『17世紀にスウェーデンがポーランドに侵攻してきたとき、このイコンの力によって修道院は陥落を免れた』といったものです。他にも、同様な奇跡の類話がたくさん残されています。
松葉杖などは「ここへ来て足が治った」お礼に信者が置いていったものです
黒い聖母のイコンを見つめていると、さまざまな伝説が伝わるのも納得できます。なんともいえない神秘性を帯びているのです。厳かながら豪華な装飾を施されたイコンですが、その顔は、赤子を抱く普通の母親の表情からは遠く、むしろつかみどころのない表情をしています。無表情のようでもあり、見方によっては沈鬱にも見え、単なる母性愛を超えた慈愛の表情にも見え、想像力をかきたてるお顔なのです。
8月15日は「聖母被昇天祭」でした。ここはその会場です。
マリアの顔をさらに神秘的に見せているのは、はっとするほどの肌の「黒さ」と、右ほほに無残に残る2本の切り傷です。「黒」の理由にも諸説あり、『糸杉という黒っぽい木の板に描かれたから』、『コンスタンティノープルに置かれていた時に火災があって黒くなった』、『灯明の煤で黒くなった』、『マリアはもともと有色人種で、西洋絵画に表れるように白い肌に描かれる以前のものだから』等々といわれているのです。また、ほほに残る傷は、異教徒の盗賊によって付けられたそうです。
隅々まで厳かな空気が満ちています
この二筋の傷跡は、他の聖画ではなかなか見ることのない生々しさを持っています。女性の顔にはっきりと付いた傷跡というのは、たとえ絵画でもやはり痛々しいものですし、これによって、マリアの表情はますます複雑な憂愁をまとっているように見えるのです。「このマリアは、来るべくしてこの修道院にやってきて、付けられるべくしてほほに傷を付けられた。すべて必然だった」とさえ、思えてきます。
まさかの“着せ替え人形スタイル”。少し角度をつけると、衣装を嵌めてあるのがわかります
修道院内には無料の博物館があり、ここは世界中から寄贈されたカトリックの装飾品などが展示されています。ヨハネ・パウロ二世のミサ用の衣装など、見ごたえたっぷりですが、中でも必見なのは「黒い聖母」の“着せ替え衣装”です。なんと「黒い聖母」は、顔や手の部分をのぞいて、上から装飾的な“衣装”をかぶせることができるのです。日本のカトリック教会から贈られた衣装もありますよ。聖堂の豪華な建築もすばらしく、この世の苦しみを忘れるような美しさです。ぜひ、ポーランドの至宝を見に、チェンストホーヴァへ行ってみてください。
※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2016/12/21)
※旅行前には必ず、外務省の海外安全ホームページで訪問地の安全情報についてご確認ください。
※この記事はガイドレポーターの取材によって提供された主観に基づくものであり、記事は取材時時点の情報です。
提供情報の真実性、合法性、安全性などについては、ご自身の責任において事前に確認して利用してください。
エイビーマガジンについて