- 前原利行
- 東京出身、神奈川在住。90年代半ばにバックパッカーで世界放浪したことをきっかけに、旅行ライターの道に。ガイドブック、雑誌、ウエブサイトなどで取材やライティング、編集を担当。行った国は90ヵ国以上だが、最近は国の数が増えないことと体力の低下に悩んでいる。他にも映画や音楽の仕事もちょこちょこしている。
出発エリアをに変更しました。
入り口に立つのは、出生地が近いローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の像
ポーランドには全部で16の世界遺産がありますが、今回紹介するのはポーランド南部のマウォポルスカ県にある「カルヴァリア・ゼブジドフスカ/マニエリスム建築と公園が織りなす景観及び巡礼公園」です。とても長い登録名称ですが、簡単に言ってしまえば、修道院礼拝堂を中心に自然の地形を活かして作られた巡礼路と、そこにマニエリスム建築で建てられた礼拝堂群のことです。場所は古都クラクフの郊外。まずは、この教会と巡礼路がいかにしてできたのか、その歴史から紹介していきましょう。
ポーランドはローマ法王を輩出したこともあるカソリックの国です。17世紀初頭、ヨーロッパではプロテスタントの宗教改革に対して、カソリックも反宗教改革で巻き返しを図っていました。この地方の中心都市はクラクフで、当時のクラクフ県知事であるゼブジトフスキが、1601年にツァー山の斜面に聖十字架礼拝堂を建てたのがこの巡礼路の始まりです。山といっても高い山がほとんどないポーランドなので、日本で言えば小高い丘といった程度ですが、ゼブジトフスキはそれをキリストが磔刑に処せられたゴルゴダの丘に、周囲の地形をキリスト受難時のエルサレムに見立て、教会や修道院関係者と共に巡礼公園を作る計画を立てました。「カルヴァリア」とは「ゴルゴダ」のラテン語名です。
巡礼路にある礼拝堂は、みなデザインが異なる
1605年から1617年にかけてゼブジトフスキにより、他の丘もキリストが捕縛されたオリーヴ山、ピラトの邸宅などに見立てられ、イエスの墓、ヘロデの宮殿、最後の晩餐の場所などが配置され、そこに礼拝堂が建てられます。ゼブジトフスキの死後もその子孫や後継者たちにより、多くの礼拝堂が建てられました。巡礼者たちにとっては、この巡礼路を歩くことによりイエスの最期の日々を共に体験し、宗教的な体験を得られる場所なのです。現代の感覚でいえば、キリスト教のテーマパークのような側面もあったのでしょう。巡礼路は修道院礼拝堂を起点に右回りと左回りの2コースあり、ともに6kmで一周約2時間半〜4時間。その要所要所に40あまりの礼拝堂があります。
カルヴァリア・ゼブジドフスカは人口5000人の地方の小さな町ですが、訪れる巡礼者たちは毎年100万人余りとか。ただし集まるのは宗教的な行事がある日が中心で、筆者が訪れた夏の晴れた日には巡礼者の姿を見ることはほとんどありませんでした。ただしイースターの聖金曜日などには、1日で10万人近い人々が訪れるそうです。カルヴァリア・ゼブジドフスカ修道院礼拝堂(聖母マリアの聖地)の入り口には、1978年から2005年までローマ教皇だったヨハネ・パウロ2世の銅像が立っています。というのもヨハネ・パウロ2世が生まれたのは、このカルヴァリア・ゼブジドフスカからわずか14kmしか離れていないヴァドヴィツェの町でした。そのため、彼は教皇になる以前からたびたびこの巡礼路を訪れていたと言います。そんな由来もあり、今もポーランド人に人気の巡礼路であると言えましょう。
※この情報は2020年11月現在のものです。内容には変更があるかもしれないので、最新情報は該当のホームページなどでご確認ください
●カルヴァリア・ゼブジドフスカ
公式HP http://kalwaria.eu/strona/english
開館 9〜17時(教会の開館時間、巡礼路は随時)
料金 無料
※記事は掲載日時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。(掲載日:2020/12/27)
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