巨利を得ていたコショウ貿易

さて、話はまたコショウに戻ります。今ではなんてことないスパイスですが、ポルトガルの「インド航路発見」までは、ヨーロッパでは非常に高価なスパイスだったことは前回述べました。ところが、ベネチアを通さずに、直接取引(あるいは収奪)して買うと、その価格は実に安いものだったようです(仕入れの60倍で売っていたともいわれています)。現在、ポルトガルのリスボンのベレン地区にある世界遺産のジェロニモス修道院は、スパイス貿易の利益によって建てられたといいますから、かなりいい商売だったのでしょう。インド洋貿易が安定してくるとコショウの価格はどんどん下がり、またベネチアに対向するために価格破壊が進み、リスボンのコショウの価格はベネチア独占時代の1/10ほどになったといいます(それでも仕入れの6倍!)。

コショウからみる東西交流の歴史。その3  コショウの原産地を訪ねる旅へ コショウからみる東西交流の歴史。その3  コショウの原産地を訪ねる旅へ

コショウの生産地を探しに

確かにこれほどの利益が得られるから、ヨーロッパ各国がゾクゾクと海に乗り出したのでしょう。さて、私はそんなコショウの産地を是非見てみたいと思い、10年ほど前、南インドの港町であるコーチンやカリカットに行きました。ところが行ってみてわかったことは、この2都市は積出港ではありましたが、都市なのでそこでコショウが栽培されている訳ではないことです。そこでコショウ栽培の姿を見たかった私は、80年代にNHKで放映されていた番組「海のシルクロード」に出てきた地名を頼りに、ケララ州とタミルナドゥ州の境の山あいにある、ペリヤール地方へと移動しました。

茶畑の合間に生えるコショウ

ペリヤール地方は高地にあり、茶畑が丘の斜面に広がっています。その茶木に日陰を作るために植えられた高木がありますが、その木につるを絡み付けて生えている植物がコショウでした。コショウは木だと思いこんでいたので、まさか“つる”性の植物だとは意外でした。そのつるには、緑色のまだ未成熟な実が房状になっていていました。

黒コショウと白コショウの違いは?

ここに来て知ったのですが、黒コショウと白コショウも同じ種類の植物でした。乾燥や発酵の具合によって異なる仕上がりになるのです。事黒コショウはまだ未成熟の緑色の実を摘み、それを乾燥、発酵させたもの。白コショウは完熟したコショウの実を乾燥させたものなのです。コショウの実をほぐして乾燥させている農家をまわりながら、インドとポルトガルに渡った私の旅も終わりを告げました。しかし人間の“食”に対する欲望というものは、本当に強いですね。今でも「本場の食を味わいたい」が、海外への旅のきっかけだったりするのですから。